進路

 受験シーズンとなり、娘は部活を引退してから、映画やカラオケやら遊びに行くことが多くなった。こんなんでいいのだろうか、年が超えると受験だというのに。

 最近、娘は志望校を変えた。受験の直前になってビビッて1つランクを落とすという子供達が多い(自分も昔そうだった)のだが、娘は、なんと、1つランクを上げ、そして、3者面談に望んだ。理由はそこの高校の説明会に行って、そこの高校にどうしても行きたいという気持が強くなったからだ。先生も賛成してくれたのだが,志望校が落ちたらどうするのか? お父さんとの話し合いでは、近くの私立のJ高へ行って、卓球に専念しろ!と、ずーっと言いきかせてきた。現在J高の卓球部にはすばらしいコーチがいる。おそらく道内での5本の指に入る指導者なのではないかと思う。なので「特進コース」を受験するのではなく、「進学コース」(いわゆる普通科)を受験しろと娘には言ってきた。パンフレットを見ると「特進」でも部活と両立できるみたいに書いてあるのだが、実際のJ高の部活に所属する父兄さんに聞いてみると、特進に入ると、土日の午前中は授業らしい、運動系の部活は中学校と同じで土日の午前中が練習のメインになる。大会もである。特進に入ると土日の練習には参加できないし大会にも参加できないになるらしい。つまり、特進に入ると、部活動はほとんどあきらめなければならないと考えた方が間違いないとの助言をいただいた。なので普通科へ行って運動しろ!とのお父さんの希望で娘もそのつもりだった。

 今年のJ高校の卓球部女子の部員は残念ながら2人だけしかいない。先日、新人戦があったので見に行ってきた。J高はたった2人だけで団体戦に出場していた。たった2人だけで団体戦に出るという、勝ち星を相手に2つプレゼントした形で試合がはじまる。1つでも負けたらその時点で試合は終わりなのだが、そんな状況下、団体戦に参加している姿は、ちと、涙がでた。ここの部活で娘がお世話になったら、なんてステキだろう。いろんなことを学べるに違いない。もし、第一志望の夢がかなわなかったら、迷うことなく、J高、普通科、そして、卓球。

お父さんは、三者面談で、第二希望はJ高の普通科を申し出た。

先生は「へ?」

「お お父さん、特進はお金がかかりませんよ!」、そう言われた。

こういうことらしい。

娘は内申点がそこそこ良いらしく、「特進コース」を選べば、例え公立との併願でもすべてお金がかからないというのだ。制服代しか、かからないらしい。

お父さんは グラっときた。

卓球をするべく普通科を選ぶというと、この特典はなくなるらしい。そんなこと、全然知らなかった。先生は気を使ってくれて、

「そこの部分は、家でもう一回話し合って決めたらどうですか?」と言ってくれた。

家に帰り娘に言う。

「お父さんはどっちでもいい。お前の好きにしろ。」

娘は躊躇せず願書に「特進」を書き込んだ。

「お前、特進に行くって、部活が出来ないってことだぞ!わかってるのか、おい!」

「うん」

お金がかからないと聞いた瞬間、その時、グラッときたお父さんの気持を見透かしての娘の行動だったように思う。あれだけ、卓球部に固執し、今現在活躍している高校生の選手や監督やコーチの情報を手に入れようとした,そんな親父の行動だった。が、しかし、こんな場合、娘はおそらく、「特進」と書き込むだろうと思ってしまったのである。。

とんでもない親だ。

お父さんは確信犯的に「お父さんはどっちでもいい。お前の好きにしろ。」と、言ってしまった。

もう一回、話し合いをせねばならないかもしれない。

ぐらっときたこと。確信犯的に丸投げしようとしたこと。お父さんの心の中を正直に話してみようと思う。

だが、卓球でめしが食えるわけではない。

おそらく娘の素質では全国大会にも行けないだろう。せいぜいよくて全道止まりなんだと思う。なので卓球に固執する必要はなにもない。ないのだが、昔の話だが、自分が高校生の時、バレーボールをしてた。んで、ラッキーにも全国へ行けた。その経験上、思うのだが、実は運動系の部活というのは全道止まり当たりが一番楽しいものなのである。

むろん人によりけりの感想だろうが、

全国を目指し全国で通用するための運動メニューをこなすあたりから、運動系の部活は楽しいから苦しいに変わる。全国レベルの運動量をこなすためには生まれつき恵まれた身体能力、消化吸収力、じん帯や腱の強さ、筋力アップの速度、要するに持って生まれた物にかなり恵まれていなければならない。不幸なのはそうでない人間が、その運動についていってしまうと体がボロボロになる。

自分がそうだった。

自分には持って生まれたものがなかった。ヘドをはきながらも根性の精神でもって、みんなについていった。ねん挫をし、それが治らないまま、またさらにねん挫するなんてことを繰り返した。膝に水がたまり、それを注射で抜きながら痛み止めをうちながら、でもそんな苦労はいつか将来の財産になるだろうと信じて練習についていった。仲間は大好きだったため、思い出はたくさん出来たのだが、部活を引退するとき、体中は傷だらけだったように思う。

そして高校を卒業してから、10年以上、後遺症に苦しめられた。

自分はテレビでやってる全日本のバレーボールの試合を見たくもない。見るのがなんだか苦しいからだ。

その後、知り合いに硬式テニスにさそわれ、そしてはまった。20年はまっている、いまだに楽しい。苦しい運動を経験してきたために、楽しさがひとしおなのかもしれない。運動とはこんなに楽しいものだったのだと知った。遅すぎた春だったが、十分今は満足している。

 中学、高校とも、自分の身体能力がどの程度のものなのかを見極めるべきである。良くてここまではいけるだろう、という予定みたいなものは、それでいいのか、それじゃ全然駄目なのか、親も加わって一生懸命子供のために考えてやるべきである。中学生の子供に判断させるには、難しい問題だからだ。部活をレクレーションだと割り切れるかどうか、そこんとこが非常に肝心要なのだろう。子供は自分の好きなことをやりたいと言うに決まっているのである。

ここに落とし穴がある。

親はなるべくなら好きなことをやらせてあげたい。そう思う。しかしその好きなことを続けてしまうがために、子供の社会性がどんどんなくなっていく例をたくさん見てきたように思う。むろんそれぞれの家庭により全然違う答えがあるのだろうが、子供の意思を尊重するという親の逃げ口上が結果的にミスリードになってしまうケースが周りにたくさんゴロゴロしてるように思う。甲子園をめざし、プロにも指導者にもなれず、結果的に読み書きが不得手で、過度な練習の後遺症に苦しみながら社会に放り出される元野球選手は自分の周りだけではないはずである。

うちの場合、娘の卓球希望がそれほど強い希望ではないため、話し合いをしやすいことはしやすい。

だからなんだと言われそうな話しのようだが、そこで、親はどうすればいいのだろう。せいぜいよくて全道止まりの娘になんて言えばいいのだろうか。

子供があるスポーツが好きになり、その才能を伸ばそうと、のめり込んでいった親を何人も知っている。いや何十人もしっている。まるでマラリアにでもかかっているように。しかしそれはすべて幻想なのだ。すべてというのは言い過ぎなのかもだが、99.9%くらい幻想なのだと思う。0,1%の天才の出現のために、毎年、何十万という子供の身体がボロボロになる。夢とか、そんな安価な錯覚に踊らされて、大人は大量の不具者を実は育てている。

決めるのは本人であることに変わらないのだが、

娘とこう話し合った。

志望校に入れなかったら、J高校の特進へいく。卓球部に入るのはあきらめる。本来、志望校でかかるはずのお金の分で、有料の運動系の何かの教室(卓球とかテニスとか)に通うことにする。土日の午前中は授業となるが、午後はお父さんとテニスをする。とにかく、運動は絶対にする。そんな形で運動と両立させていく。そして将来の進路を決めていく。

こんな風に話しがついた。

せいぜい良くて全道止まりの娘と金銭的な理由に心がぐらっときた父親と、そんな親子の話し合いの決着だった。

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