夏休みに入った。
本日、部活から帰ってきた娘はいつものように、「おと 卓球行こ!」と、言うのかと思いきや、
「おと 図書館行こ!」だった。夏休みの宿題をやりたかったらしい。
本日の図書館の無料駐車場はいつになく行列だった。図書館の隣の公会堂では映画を上映していて、それに運悪く時間帯が丁度ぶつかったからだと思う。映画のタイトルは「ハードル」だった。青少年育成なんとかの一環らしい。娘と「なんだか見なくても内容が分かるような映画のタイトルだよね」などと、駐車で待たされる腹いせもあって、いけないとは思いつつ、せせら笑ってしまいました(笑)。
待つのにしびれを切らしたようなドライバーさんが一台また一台と行列から抜けて行きました。よしよしと思ったのですが、でも先頭になってからが結構長かった。結局本日は55分待ちで駐車スペースをゲットした。駐車場待ちの時から、車のせまい空間で娘は休み中の宿題の作文を書いているみたたいだった。
タイトルは「いじめ」である。
聞くと、いじめはクラスで存在しているらしい。でもそのことを書くと、先生に呼び出されて根ほりはほり聞かれそうで面倒くさいため、自分の周りでは、いじめは存在していないということをそんな風に書きたいらしい。原稿用紙三枚らしい。事実とは違うことを、なるべウソをつかないで、3枚分も創作に近い形で、文字を捻出しなければならないため、それがうまいことできない自分に腹が立ってくるらしく、ほとんど悶絶と言っていい程の七転八倒の書けない苦しみを味わっている。その後、午前中の部活の疲れも手伝ってか睡魔と戦い、途中、お父さんに、
「ねえ おと いじめをどう思う?」と救済を求めてきた。
お父さんの言うことをそのまま作文に書いてしまう可能性が大きかったので、
「いじめは無くなるわけないよ、大人の世界だってあたりまえに存在するんだし、子供の世界だけ無くすのは無理だし、昔から存在したし、いじめられる子に問題がある場合だってあるし、親の育て方の問題もあるし、少なくても学校の先生は関係ないと思う。」と、わざと乱暴なことを言うと、
「おとーはいじめられてた?いじめてた?」と、核心をついてきやがった。
「お父さんはいじめられたこともあるし、いじめたこともある。みんな多かれ少なかれ、そんなもんだと思う。でも自殺したり殺されたりすることだけは別な問題だと思うよ。そう言えば、ほらこの前さ、大分前の話だけど、東京でさ8人くらい人を殺傷した若者がいたでしょ? あの人さ、「中学生の時、親が書いた作文で賞をとり、親が描いた絵で賞をとった」って言ってたらしいよ!そう言って親に憎しみを吐き出してたらしいよ!」
「、、、、、、、」
そこまで言うと娘の顔はキッと険しくなった。絶望的な気持ちが強烈な睡魔に変わったのはそれからすぐのことだったと思う。