中学校の廃品回収のお手伝いに行ってきました。
事前に廃品を出す日時は子供達にプリントを渡されてあります。でも午前中に雨が降ったせいか、いつもの半分くらいしか出ていませんでした。お父さんの仕事はKトラの荷台に乗り、古新聞などの廃品が出ている場所でドライバーさんが車を止めてくれます。荷台から、ひょいと飛び降り、廃品を荷台の上の父兄さんに手渡す役をやりました。以前、飛び降りる時、アキレス腱を切ったお父さんがいたそうです。「くれぐれも気をつけて下さい」との、教頭先生の言葉でした。
荷台の上、自分の他に、お母さん2人、計3人でありまして、聞いてみると、3人とも子供が卓球部ではありませんか、共通の話題があるので、移動中は世間話などをし、結構、楽しかったです。お母さんの一人に、言われた。
「お父さんって、いつも、お手伝いに来るタイプの人ですよね」
「ア ええ アハ」
そうなんです。
保育園の時代から、行事の手伝いは必ずと言っていいほど、参加してるお父さんなんです。例えば、運動会があるとして、集合が7時なら、6時半入りをするという、そんなうざったいお父さんだったのであります。点数を稼ぎたいあざとい気持ちもあるのもあるのかもしれませんが、子供がお世話になってる訳ですから、仕事は後回しにしてでも、お手伝いするのは当たり前だと思うからなのであります。
でも、小学校の上学年からは事情が違ってきました。子供の指示で参加するようになってきました。子供の指示で行動するようになりました。
娘の考えはこうです。
地味な活動は参加して欲しい。みんなが参加したくないと思うような、例えば、プール清掃、土おこし、ガラス磨き、マラソンの沿道係り、会場のセッテイング、あとかたづけ、寒い中で立ってる係り、バザーの手伝い、愛のパトロール、そんな仕事は積極的に参加して欲しい。その代わり、そのかわり、PTAの役員だけはしないで欲しい。親が役をやって、そういう形で、親が学校にしゃしゃりでてくるのは、自分は、自分としては、そのことを、いやだと思うタイプなので、役だけはやらないで欲しい。役を逃げるために、そのために地味な活動には積極的に参加して欲しい。地味な活動に沢山参加しているという理由でもって役を逃げて欲しい。というのが娘の考え方だった。
肉声ともいえる、訴えとも言えるような主張だったのでお父さんとしては娘の意見を尊重した。悪い切り口ではないなぁと思ったので、娘の指示に従うようになった。
ちなみに昔の話だが、私の親も役好きだった。親戚も役好きが多かった。子供だった自分は親や兄弟の役好きに、辟易したのを覚えている。
なので、おじいちゃんや親せきの人は娘に、「どうして生徒会とかの仕事をしないの?なあんで立候補しないの?」などと、昔はよく娘に聞いてきた。お父さんのDNAを持つ娘は、その質問を嫌がっていたみたいだ。小学5年生の時にこう聞いてきた、
「ねえ おと? 生徒会とか委員長とか、立候補しなきゃダメなのかな?」
「全然!その必要なし! だと思う。」
例えば、先生は「この学校はいじめはない」と考えていて、でも実際にはいじめは存在していて、んでもって、お前が、学校にまかせておけないから、だから生徒だけの子供相談室みたいなものを設置しなければならないという風に考えるとするじゃん。で、その考えを実現するには生徒会長になることが一番の近道だと思ったら、そしたら立候補すればいいんだと思うよ、でもなんの理想も主張も持っていないんだったら、それで立候補するんだったら、それはただの役好きってことだと思う。将来、自分が役好きの人間なりいたいか、そうなりたくないか、そこんとこ 考えればいいんじゃねーの」と、非常に危険な考え方を子供に、ぶつけたのを覚えている。
今から考えると、なんだか、とっても偏ったものいいをしていたのだなぁと反省すること千番である。いろんな人に出会えるからという理由でそういう役に積極的になる子や人間もいるだろうし、ことわりたくてもことわれない状況というのもあるだろうし、自分を変えたくてそのきっかけだと思う場合だってあるだろうし、受験の査定が上がるから戦略的に立候補する場合だってあるだろうし、思えばそんな調子で子供に場当たり的に適当なことを言ってきたのだなぁと、振り返って自分の子育てをなぞってみると、穴があったら入りたい気持ちになるのであります。
ま、ただ、この時に限っては、役好きの大人に囲まれて困っていた娘はお父さんにの言うことに、肩の荷がおりたみたいにホッとしたみたいだった。
それから、行事ごとに娘に確認するようになった。
「今度のふれあいコンサートの会場作りの仕事、行った方がいい? どう?」などといちいち娘に聞きながら参加していた。娘に「行ってくれ」と、言われた場合、出来る限り行くようにしていた。
そんな風に、いちいち聞いていたものの中に参観日がある。
参観日に行った方がいいのかどうかをいちいち聞くようにしてきた。いままでは、参観日は 「来てね!」だった。なので、必ず、行くようにしていた、のだが、中学生になって、前回の話しなのだが
「明日、参観日だけど、お父さん、行った方がいい?どう?」、と聞くと、
「、、、、、」
娘はちょっと考えるようになった。
「んじゃ、さ、明日さ、おとうさんさ行かないよ、いいね」。で 当日になって、「やっぱ、来て ね」、と言い出した。揺れる乙女心なのか。
なので、前回は参観日に行ってきた。次の参観日は、おそらく、おそらく、
「来ないでね」
という、セリフに変わるのだと思う。本人にもいろいろ事情ってもんがあるのだと思う。
保育園の時代から、中学まで、参観日は実を言うとお父さんの人生の楽しみの一つだった。娘にそれを悟られたことはない。参観日の前日のお父さんのセリフは、
「はぁ? 明日、何?参観日なのぉ? マックスめんどくせえー! あ、そ、ま、しゃーないなぁー、んじゃ、適当に行くわ、行けんかもしれんけどさ行けんかったらさ、勘弁な! すまんな!」などと、かわいそうだが、本当の自分の気持ちを悟られたくないため、そう言っていた。
しかし仕事をそっちのけで参観日に行く自分がいた。
授業中、先生に、娘は当てられ、「5大大陸の最後のこの大陸はなんでしょう?」と、聞かれ、答えは「アフリカ大陸」なのだが、娘が「南アフリカ大陸!」、などと答えると、後ろでそれを見ているお父さんは昔のドリフターズのコントのおちみたいに、心の中でずっこけるという、そんな参観日の空間がなんだか大好きでありまして、とっても大好きでありまして、その参観日に行けなくなるというのが、非常に残念な訳であります。
がしかし、
廃品回収を手伝う荷台の上で、お母さんは、そんな自分の気持ちを推し量ってくれるような感じでありました。
「お父さんって、いつも、お手伝いに来るタイプの人ですよね」と言われた時、
「ハイ、少しでも点数をかせぎたいのかも、しれんですわ アハ」
「でも、それって、子供にとってはいいことですもね」と、間髪いれず、即効で、フォローするように、しゃべってくれたました。
え? っと思いました。
ありゃ、このお母さん達は、自分のというか、父親の気持ちってやつをわかってくれようとしてくれているんだなぁと、そんな感じました。なんだか、ありがたい、そう思いました、
ちなみに後で判明したのですが、娘が地味な活動には積極的に参加して欲しいと懇願した理由、それは、例えば学校の畑の土おこしに私が参加するとする。その次の日、なんと校長先生が娘のクラスまで来てくれて娘を廊下に呼び出し、そしてこう言うらしかった。
「昨日、お父さんが土おこしを手伝ってくれて大変助かりました。家に帰って、お父さんにお礼を伝えてといて下さい。」と、言ってペコリ娘に頭をさげてくれるらしいのだ。それが娘にはなによりの快感になってしまった。
理由は友愛ではなかった。ただの優越感だった。(いいかげんにしろ)