人間はどうして ウソをつくのだろう。
実はお父さんはこの年でウソを卒業できないでいる。いまだにだ。だから偉そうなことは言えないんだが、でもやっぱりウソはよくないような気がするんだなぁ、なんとなくだけど..。
本当の事を言うことで友達が出来たり、ウソつくことで誰も遊んでくれなくなったり、でも反対に、正直にしゃべる事によって損したり、ウソをつくことで身を守ることが出来たり、とりあえず 君はウソをついたりつかなかったりして、いろいろ試行錯誤して学習する必要があるみたい。
ウソって 喉元に突きつけられたもろ刃の剣みたいに 危なくてとてもやっかいなものだけど、使い方によって自分や人を傷つけたり、かばったり、自己防衛できたり、でも総じて、強い人間ほど ウソをつかなくてすんでるみたいだ。
だから 君がどんどん強くなればなるほど、ウソをつく回数はおのずと減っていくんだと思う。うそをつかない人間を目指すのと、うそをつかなくてすむ そんな強さを目指すのとでは、たどって行く道がぜんぜん違ってくるんだと思う。
人のウソを許せない人間は 結果だけにとらわれている人かもしれないし、反対にうそを許せる人間は 強さを目標にしたりしてるのかもしれないよね。だから君はうそをつかなくてすむ強さを学習しなければならない。学校で国語や算数を学習するのと同じように....でも もしまちがってウソをついちゃったら、自分がダメなどという自虐的な考えにとらわれる必要はないんだと思う。なんて自分は弱い人間なんだろうと いったん 立ち止まって考えればいいんだと思う。そんな瞬間は自分の弱さが露呈した瞬間なわけだから、今だとばかりヤットコやペンチで自分の心の中を こじ開けて覗き込んで見る作業をすればいい。糸をリールでたぐり寄せる釣り人のように、たぐった先に何が出てくるのだろう。何が自分をしてそうさせるのか.. その原因を勇気をもって追求する必要がある。自分の弱さを把握したり また自分という得体の知れないものを知る上で、うそをつく瞬間、それは実は絶好のチャンスでもあるんだ。
人はなんで ウソを平気でつくのにウソをつくのがいやなのだろう。
うそがばれたら 怒られるから? 信用がなくなるから? いや そうじゃない。人がウソをつく時って、強くなれないで困っている自分の心がひいひい助けを求めてきてる、そんな自分を助けだせないで傍観しているもう一人の自分に なんとなく嫌気がさすからだ思う。だから人はうそをつく度 強くなりたいという郷愁にかられるんだ。
うそをついた時のあのいやな感覚は川で子供が目の前で溺れていて 溺れてるにもかかわらず、足がすくんで助けてあげられない そんな時の茫然自失とした心境に近いものがある。そんな風に困ってる自分を救い出すために 時にはそれと対話しなだめるために、わらをもすがろうとしてる自分をなんとかしてやるために、あるいはそんな自分を抱きしめるために、いちいち立ち止まらなきゃならないんだと思うよ。
そこで あれこれ考えて欲しいんだなぁ。
「どうして自分はウソをつくダメな人間なんだろう」じゃなくて、
「ウソをつかなくてすむ力をどうしたら手にできるのか」を懇々と考えてほしいんだよなぁ。
また自分を大事にするという事はそういうことなんだと思し、自分を生かすも殺すもやっぱり自分なんだし、そのためには自分を知らなきゃならないし、だから自分の内面に興味を向けることから生活の本番が始まるような気がするんだよね。もちろん君は そこで人生の大きな浪費をすることになるんだと思うんだけど、でもそれはきっと偉大なる遠回りなんだと お父さんはそう信じてる。
うそつき虫だけじゃない。我々人間にはその他いろんな虫がすんでいる。
いじけ虫、
ねたみ虫、
嫉妬虫、
腹立ち虫、
ひねくれ虫、
ふてくされ虫、
いいわけ虫、
素直になれない虫
知ったかぶり虫、
いやみを言いたくなる虫、
ドラマの主人公になりたがり虫。
お父さんは若い頃、この虫達と毎日戦ってた。毎日が決闘の繰り返しだった。この虫達が身体の中にうようよしている自分が嫌で嫌でしょうがなかった。追い出しても追い出しても、ボロ家の雨もりみたいにどんどん入り込んでくる。でも20歳を過ぎたくらいから、ある時、お父さんはこの虫達を追い出すのをあきらめた。虫が一匹もいないりっぱな人間になることを希望してたんだけど自分には追い出すのは逆立ちしたって無理だとわかったんだ。でもその時、この虫達のことをイエスは原罪といい釈迦は業という考えでそれを表そうとしていたこと、彼らが説明しようとしていたことがあきらめることで、ようやく 少しだけど理解できたような気になったんだなぁ。
それから お父さんはこの虫達と友達になって 一緒に暮らすことにした。
暮らしてみて思った。結構、悪くないと思うようになった。この虫達は時に怪物のように自分を支配しようとあばれたりする時もあるけど、たいていそれは自分の体調が悪い時、むくっと鎌首をもたげてくるだけで、ほとんどの場合、自分の考え方に協力してくれる存在であることも分かった。虫達がいてくれるおかげで相手の気持ちが理解できたり、虫達がいることで自分が上等な人間じゃないことが意識でき、謙虚な気持ちで物事に対する取組みができたり、上等な人間じゃないからこそ 人に寛大になれたり、人を許せたり。だから彼らと一緒に同居するのは決して悪いことじゃないということに気がついたんだ。自分さえしっかりしてたら、彼らは服従はしてくれないけど でも いう事を聞いてくれる。自分さえしっかりしていたら、その彼らと一緒に人生をエンジョイできるんじゃないかとまで思えるようになったんだ。
お父さんは こう思う。
自分さえしっかりしてたら....
降りかかる火の粉をガゼンはねのけるように、きっと進んで行ける。例え ウソをつきながらでも、きっと前に行ける。