アメイジンググレィス

3.小学生の頃

泣きたい時には空を見ろと昔の人は言った。

お父さんも40才をすぎてから、ようやくそう思えるようになったかもしれない。一見止まっているように見えるあの雲だが目をこらしてみる。気がつかないほどのゆるやかさでもって、ゆっくりと雲が動いていることを知る時、なんだか動揺する自分の気持ちがゆるやかになっていくことを、将来の君も確認できたらありがたいなぁと、そう思う。

 そして冬、暗闇の空からしんしんと落ちてくるあの雪が雪面に不時着する時、「かさっ」というほんのわずかな小さな音に耳を傾けると、ざわざわした気持ちが、静かになっていくことを、いつか君も確認して欲しいと、そう思う。

空にはなんだかそんな力がある。
自分をもとに戻してくれる、そんな力があるのだと思う。傷を治してくれるとかではなくて、傷ついてへこんだまま元に戻らないで困っている固体のような自分を液体化してくれるのだ。

最近の人はなんだか空を見上げる機会が少なくなった。言葉は人の心をいたずらに複雑にするだけの時があると思し、言葉は時に我々を裏切る。また言葉はふいに鋭利な刃物に姿を変えて、我々の心臓を突き刺してくる時もある。しかし、バカみたいにおおらかで凡庸な空は裏切りの不安を人にチラともいだかせることがないのがうれしい。自分を絶対裏切ろうとしないものに、実はいつも包まれているのだとそう感じる時がある。

そしてアホみたいにのほほんとした空は我々に一生懸命に休息を呼びかけるのである。

「疲れたら、休んでいいからね!」

 空を見上げる機会の多かった大昔の人の方が優しかったのかもしれない。大昔の人の方が、かしこかったし、きっとニコニコしてた。江戸時代の人の方が、友達を助けるのが上手だったし、恋人を大切にしてた。自分にとって大事な人を守ろうとすることに命がけだったし、子供を育てるのがうまかったように思う。あと、喜ぶのがうまかったし。いろんな笑い方を知っていたのだと思う。

誰かが言ってた、一億年前の空も 今と同じ空だったらしい。

話は変るけど..

お父さんは若い頃東京にあこがれたんだ。
そして上京した。毎日なんだか虚しくて、毎日なんだかはがゆくて、とにかくお父さんは毎日毎日イライラしてた。ある日、道で4,5人のチンピラと肩がぶつかったとか、ぶつからなかったとかで口論になった。


こっちはたった一人だったが、負けず嫌いだったお父さんはカッコをつけて言った。

「お前ら どっからでも かかって来い!」 

そのあと袋叩きにされた。(笑.涙)

ややしばらく、殴られたり蹴られたり..起き上がることも出来なくなったお父さんの横っちょで、彼らはとどめを刺すかささないかで こんどは仲間内で口論になっていた。

「ほんとに殺したら やばいよ!」と主張するものと

「今 やらなかったら 今度俺達がやられる!」と言う側で、つかみ合いの喧嘩が始まった。

とどめを刺すことに反対してる側の若者をお父さんは祈るような気持ちで応援した。

「頑張れー!」(笑)

そんな喧騒と大ざわめき声の中、お父さんは顔中から血液がドクドク流れていく脈の音を聞いていた。
カッコの悪さと惨めさの中、仰向けだったため空だけが見えた。意識が薄らいでいくためか、だんだんまわりが静かになっていったんだ。
そんでもって気がついたことがあった。

「東京に来て 空をながめていなかった!」

そんなへんてこりんなことを考えながら、空だけを眺めた。東京の空にしてはめずらしく星の見える夜だった。

数十分後、気がついたら誰もいなかった。
向こうの方からジョギングが日課のようなおっさんがエッチラホッチラ近づいてきた、

「おのおっさん 助けてくれるかなぁ 救急車呼んでくれるかなぁ」

そのおじさんはまるで何事もなかったように お父さんを遠巻きに避けて走り去って行った。(笑)そのおじさんの後ろ姿がだんだん小さくなっていくのを横目で意識しながらまた空を眺めてると、今度は若い女の人が歩いてきた。血だらけで倒れているお父さんを見て、ギクッとびっくりし、やっぱり遠巻きによけて何事もなかったように足早に行ってしまったんだ。(笑)

で、その時、このアメイジンググレイスのメロディが頭の中を流れたってわけだ。なんだか知らないけど涙がボロボロ流れてきた。感傷に流されることが大嫌いなお父さんだったが、その時のボロクソのような自分と重なったのかもしれない。

思い出すだけでもはずかしい出来事だった。穴があったら入りたくなるようなカッコ悪い思い出だ。でも、お父さんは あの時の事を一生わすれないと思う。あの時の空を一生わすれることはないだろう。このまま死んじゃうのかなぁと思いながら見ていた空は、なんだか、とてもやさしい愛に包まれていく恍惚とした感じだった。

そしてとっても静かな空だった。

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