プレゼント

3.小学生の頃

君はオギャーと泣いて生まれてきた。

この世に生まれたのが悲しくて悲しくてしょうがないみたいだった。

 それでも死にたくないがために哺乳瓶のミルクにしゃぶりつく君に生への執着を感じた。そんな姿に、第一回目の感動を味わったことを今でもはっきりと覚えている。

同時に、「世の中が悲しいことばっかりじゃないんだよ」と、

君に教えていくためには、どうしたらいいのだろうと お父さんはちょっと途方に暮れた。これから一体どうやってそんなことを説明していけばいいのかを考えると気が遠くなったのだ。

「つらいことや悲しいことの方が圧倒的に多いんだよ」と、本当のことを言えるだろうか。

本当のことを言いいながら「でも希望を持つんだよ」などとウソをつかずに教えていく、そんな芸当がはたして自分に出来るのだろうか。

 お父さんの子育てのつまずきは君が生まれた瞬間からだった。君の誕生の瞬間はお父さんにとって、喜びと不安の2つだったように思う。

しかしその不安は杞憂になった。その一年後、正直言って悩んでる暇などなくなった。いちいち感傷に浸っている時間などこれっぽっちも無くなった。君とお父さんとおじいちゃんとおばあちゃんの4人での生活が始まったのだ。

とっても忙しい生活に突入した。

でも我々は、それからというもの、君と一緒の毎日は感動の連続だったと言える。君はたくさんの感動を回りに与える側だった。我々は意外にも供給される側だったのだ。君を中心に家族の心が一つになっていった。むろん喧嘩の場面もあったのだが、我々の家族は一人でも欠けると沈没してしまう運命共同体になっていった。

おじいちゃんとおばあちゃんが今でも元気そうなのは、君の寝顔に命の覇気を見出すからなんだと思う。小さく寝息を立ててる君の寝顔は命に満ちていないことがない。君の寝顔にどれだけ覇気の強さをもらったことだろう。

彼らがいつもニコニコしているのは君が甘えてくれるからなんだと思う。甘えてくれる静かな時間の流れに心を共鳴させているんだ。そんな感受性をより長く生きることによって研ぎ澄ましたからなんだと思う。

おじいちゃんとおばあちゃんがとてもやさしいのは、やさしくすることが君に対するお礼だと考えているからなんだと思う。やさしさをあげることに身体をブルブルと震わせている。

おじいちゃんとおばあちゃんがいつも君のそばにいてくれるのは、君がいつも僕らのそばに居てくれるからだ。君は静かな気持ちをくれる、だから静かな気持ちを君になんとかお返しするために、大人は余計な苦労やいわゆる取越し苦労をする。

 そういえば、君を見て、なんど泣いたことだろう、君に向かって何度、涙したかなぁ。内側からこみ上げてくる熱い水分が顔面を直撃してくる体験を何度もしたに違いない。君がもたらしてくれる涙のタイプは年老いて緩んでしまった涙腺にせきとめられるそれではないのだ。若い頃のように大粒の涙こそでないが、まぶたから、にじむようにして出てくる分泌液がこの世で一番素敵な水の結晶なのだ。

この数年間で彼らは君に人の一生分に相当する涙の量を経験したのかもしれない。腹を抱えて笑った回数の多さは年輪として刻まれた顔面のしわを笑いじわに変えてしまったようだ。そして なにが幸せで何が幸せじゃないかを認識できる能力を持っていた彼らはこう考えていたと思う。

君に幸せという贈り物を貰ったんだ。

君は感動というプレゼントを与えてくれたんだと思う。

プレゼントの大きさに感動したと言い方を変えてもいい。

まわりにプレゼントをばらまく君の気前のよさに対して、お父さんはお礼に君を育てさせてもらうんだと思う。君を育てるのに、どうしても、なんだか、がぜん力が入っちゃうのはそんな理由によるんだと思う。

いつか大きくなった時、君に幸せをもらった人間がいたことを覚えていて欲しい。その幸せをもらった人間は老人だったが、でも彼らは悲しい時、涙を流さないタイプの人間だったように思う。


気丈だった。

それは長い間生きてきて、やっと手にした結論だったのかもしれない。

涙は感動や喜びのためにあるという結論に達していたように思う。

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