世の中には子供を育てるのがうまい人々がいる。
自分もなんとかうまくなりたいと思っている一人なのだが、なかなかどうして、思うようにいかなくて、毎日自分にイライラしか覚えないというのが本当のところで、毎年一年生であるということをいやでも思い知らされる。
自分は子供を、たった一人しか育てていないし、また現在進行形であります。
娘を育てる過程では両親にも協力をしてもらったし、兄弟や親戚、その他、いろんな人の手を借りてきた口なので、子育てに関して書き込みをすることは、ちゃんちゃらおかしな話しで思い上がりもはなはだしいと、大きな声で笑われたり、怒られたりしそうな気もするのだが、自分が感じたことを書き留めておくことは、将来の娘に対しても、また同じ立場の親達に対しても、ある種の義務のような気がする訳でありますゆえ、参考になると言う方のみに心に留めていただければという言い訳を最初に立ててしまえば、少しは気が楽になるような気がしております。
でもそれはそれで意味があるような気がしてしょうがないため、つたない文章の書き込みを最後まで、がんばってみようかなどと思っております。
それでも世の中には子供を育てるのがうまい大人が確実に存在しているのではないか。そんな風に思うのです。
かなりの割合でいるように思うのであります。
脳ある鷹は爪をかくすの如く、そんな人ほど、前面にしゃしゃり出てくることをしないため目立たないのであります。
誰がうまくて、誰がヘタなのかの感じ方は人によって異なること当たり前なのでしょうが、偏った私見の書き込みで終わってしまいそうな気がするのではありますが、自分が実際に目撃した例を挙げてみるとこんな風である。
こんなお母さんがいた。
狭い路地を親子(母と子)2人で歩いているとする。向こうの方から車がやってくる。
でも そのお母さんは危ないという理由で子供をかばおうとしない。というか車とすれ違う瞬間もかばおうとしない。
もし子供が車と接触し危険な状態になりそうだったら ひとたびそうなりそうだったら、子供の体を安全な空間に引っ張りこめる動作をすぐさまできるようにだけ気を張っているというのだ。
もし何かあったらすぐ引っ張れるようにだけ気持ちを入れておく。
でも大抵の場合、子供は自分でちゃんとうまいこと危険を回避する行動をとるというのでる。
なんでそんなことをするのか、自分で危険を回避できる習慣を身に付けさせたいためらしい。
ただ、完全にほったらかし状態だと、ドライバーさんに余計な気を使わせて迷惑をかけるため、近づいて来る車のドライバーさんに対しては「ちゃんと子供を見張ってますよ」というアピールだけは忘れないという。
また瞬時にドライバーさんの目を見て、ドライバーさんが前方に気を付けて走っているかどうかのチェックも忘れないらしい。
これは保育所に通う子供を持つ親の話しだった。
それから数年して、このお母さんの子供さん達が大きなショッピングセンターの駐車場で車が往来する中、
そんな中を走り回っているのを自分は偶然見たことがある。
自分の率直な感想はこうだった。
へぇ!と思った。
とても安心してその子供達を見ていられたからである。
全く心配する必要が無いほど、子供達は普通に何事もなく、まるで森の中を駆け回る小動物のごとく、周りの危険をうまいことひょいひょい回避しながら駐車場の中を走り回っていたのである。
もし自分がこの子達の親だったら、神経をすり減らす必要のないほど成長してくれた子供達に感謝するだろう。
この子達はこれから将来、激動するこの危険な車社会の中で間違いなくうまいこと社会と共存していくことになるだろう。
またそんな術(スベ)を親に仕込まれたことになる。
狭い路地で向こうの方から車が見えた途端、すぐ安全を確保しようと行動してしまう当時の自分に耳の痛い話しだった。
このお母さんの深い深い愛情に目から鱗がはがれる思いだった。
愛情とは、なんにも難しいことではない。こういうことなんだなぁと考え方を修正させられた。