娘、東京に行く

5.高校生の頃
娘、東京に行く

娘は東京に行ってしまった。春から東京の学校に通う。3月の末、早朝、東京へ向かうべく列車に乗るため娘は家を出て行った。お父さんは仕事のため、駅に見送りに行けない。なので玄関先で見送る。

娘を見送りした。

「じゃあね!」と、言って娘は歩き出した。

娘の後ろ姿がどんどん向こうに行く。

身軽で行けるように、ほとんどの荷物を宅急便で送ったはずではあるが出発の直前になって、いろいろ持っていかなければならない物が増えてしまい、なので、そんな身軽ではなくなった滑稽な感じの後ろ姿が小さくなっていく。100メートル先の角を曲がる時だ、振り向いてくれればいいのになぁと思っていた、いたのだが、娘は一度も振り向かずに角を曲がり、そして見えなくなった。ちらっと振り向いて最後に手でも振ってくれればいいのに、などと自分勝手な不満も感じたが、気が抜けたみたいに無言で家の中へ入る。

数時間後、列車の出発時間頃、ラインの着信があった。娘からだった。

「2階の引き出しに手紙があるから読んでね!」

2階に行く、引き出しを開ける。手紙があった。

いままでお世話になった人に対し、それぞれにお礼の手紙が入っていた。昨夜、睡眠時間を削って書いたのだと思われる。それぞれのお世話になった事例に対して、お礼が述べられていた。あのマラソンランナーの円谷幸吉の遺書みたいだった。(笑)

お父さんに対してはあっさりだった。

「東京の学校に行かせてくれてありがとう。お金かかるけど、これからもよろしく。お酒あんまり飲みすぎないでね、帰省したらまた例の場所へいき、おそばを食べに連れてってください。アルバイトしてたくさんかせぐからね」

そんなことが書かれていた。

しかし、しかしだ。

娘がいなくなって、さぞかし心にポッカリ穴が開く思いがするのかと思いきや、ここ最近仕事が忙しくなった。朝5時半から夜の12時過ぎまで仕事が終わらないというような忙殺の日々になった。突然そうなった。朝飯も昼飯も夜飯も食べる暇がなくなった。そんな生活に襲われるようになった。食事は車で移動中に済ませている。

 どうやって仕送りしようか悩んでいた。東京の学校に行かせるというのはむちゃくちゃお金がかかるのである。我が家の経済状況では東京の学校は避けて欲しいと、そんな風に説得することは難しいことではかったと思う。おそらく娘は快くあきらめてくれたであろう。しかし自分はウソをついた。「東京に行かせて欲しい」と言われた時、間髪入れず、「いいよ大丈夫だよ」、そう答えてしまったのである。一世一代のウソというか見栄を張ってしまったのである。でも、なんでそんな見栄を張ってしまったんだろう。こう思う、こんな父親と何年も一緒に生活してくれたことへの、そんな感謝というか詫びの気持ちが自分をしてそうさせたのではないか、そう思うのである。

最悪の場合内地に出稼ぎに行こうか、などと考えてはいたのだが、忙しくなり、とりあえずその悩みは解決された。しかし、このままでは自分は過労で倒れてしまう。なにか対策をたてればならない(笑)。

今までは子供の面倒を見たいため、時間がある程度自由になるそんな自営業の道を選んできた。

でも思えば娘と一緒にいるときは、商売的にはまったくダメだった。何をやっても今ひとつだった。しかし、かつかつではあったが子供一人を人並みに養うくらいの収入だけは入ってきた。そんな感じだった。しかし娘がいなくなる段になり、目いっぱい働かなくてはならない状況になってしまった。

これをどう受け止めればいいのだろうか、
もう一度人生をやり直せということなのだろか。せっせと仕送りをしろということなのだろうか、はっきり言ってとまどっている。しかしあきらかに生かされている。そんな風に思う。

でも誰に生かされているのだろう、おそらく娘だろう。娘に人生をもらっているのだろうか。

おじいちゃんへの手紙の中にこんな一行があった。

「おとうが厳しいとき間に入ってくれてありがとう。あのやさしさに助けられました。」

そう書いてあった。

思えば娘の逃げ場所はおじいちゃんだったのである。

娘からすれば平均して一年間に一度か二度お父さん(私)の雷が落ちる。顔を真っ赤にして私が大声で怒る。そんな雷である。ころあいを見計らっておじいちゃんが「まぁまぁ!」と、間に入っておさめてくれるのである。

おじいちゃんはとにかく娘には優しかった。底抜けな優しさを注いでくれた。そして何故お父さんが怒ったのを一生懸命説明してくれたのである。

申し合わせた訳ではないのだが、おじいちゃんとは、そんな分業がいつの間にか成立していた。阿吽の連携プレーができあがっていた。

だから娘はおじいちゃんっ子だった。おじいちゃんは83歳になる。

先日おじいちゃんは呼吸が苦しくなった。みんなで救急病院に運んだ。結果的に大事に至らなかったので幸いだったのだが、普段めったに涙を見せることがない娘は泣いた。泣きながら、苦しそうな様子のおじいちゃんのそばから離れようとしなかった。

娘の逃げ場所はおじいちゃんという存在だった。

手紙を読んで、おじいちゃんは涙ぐんだ。

でも。娘はいなくなったのである。

娘がいなくなり心に、ポッカリ穴があく、そんな荷物を背負ってしまったのは、おじいちゃんが一番だったりするのかもしれない。

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