うちはこうしてアトピーが治った

5.高校生の頃

娘のかゆみの歴史は古い。

2歳くらいの頃からだったと思う。肘の部分が特にかゆがった。乾燥肌だったため、クリームを塗って、伸縮性の包帯を巻き登園していたのだが、主任先生から、昔ながらの綿の包帯に変えた方がいいですよと、アドバイスをいただいたので綿に変えた。確かにかゆみが少し減ったように思えた。

年長さんの秋の頃だ、園で飼っていたウサギが老衰のため死んだ。それまでは登園した時,娘はウサギに人参をあげたりしていたのだが、死んだため接触がなくなった。その数週間後かゆみが止まった。

それから半年がたち小学一年生の頃、その小学校ではウサギを飼育していて、餌をやったりするお世話係は一年生だった。娘にはウサギのお世話をするとき、マスクをしなさいと、マスクを渡していたのだが、そのうちまたかゆみが出てきた。そこで確信した。動物の毛アレルギーだと。「マスクをしてお世話してるの?」と聞くと、

「誰もマスクしてないのに自分だけマスクするのはなんだか嫌な感じなのでしてない」とのことだった。

ま、それはそれで仕方ないかなぁと思い様子をみた。

2年生になり飼育係をしなくった娘は案の定かゆみが無くなっていった。その後、我が家では動物を飼うことは避けた。娘がペット(ハムスター、犬、猫)を飼うことを懇願してきたとき、おばあちゃんが同じように動物の毛アレルギーなためそれを理由にして言いきかせた。小2の頃、一度犬を飼いたいと頑張った時があった。あんまり頑張るので知り合いでミニチュアシュナウザーという種類の犬を飼っていた人がいたため、事情を説明して一晩貸してもらったことになった。(犬にすれば迷惑な話だったかもである)。結果はというと、娘はウンチの処理ができなかった。犬がウンチをする度、

「おとう、ウンチしたぁあああ!」と助けを求めてくる。

また,娘が犬に向かって名前を呼んでも犬は娘には近づかなかった。お父さんのそばにばかりくる。(小さい子供が苦手な犬だったのかもしれない。またシンプルにメス犬だったからかもである)また,自分になついてくれなかった事にがっかりだっただろう。

結局、「ウンチの世話ができないんだったら、犬がかわいそうだわ、だからうちではやっぱり飼えないよ」と私が言うと、

娘は観念した。犬を飼うことをあきらめた、めずらしく素直だった。それくらい生き物を飼うことの大変さと面倒くささを思い知ったのだろう。おばあちゃんの件もあったし、ホッとした。それから7年くらいひどいかゆみとは無縁になった。冬の前後は乾燥肌ではあったものの、軽傷というか、軽い程度のかゆみはあったのだが、市販の安いクリームで対応できたため、かゆみは完全に治ったかというとそうでもないのだろうが、保育園時代から中2くらいまでは病院のお世話になる程ではなく軽傷ですんでいた。いわゆる乾燥性皮膚炎というやつで,その程度の話だったのである。

しかしそれは地獄への入り口でしかなかった。その後、大変な日々がやってくるとは、その時,娘も親の私も,誰も予想することができなかった。

 はじまりは中三の冬の12月の夜のことだった。

「おとう、かゆい、背中がかゆい、かゆくて眠れん」そう言ってきた。

また乾燥肌か?そう思った。

3か月後の来年の三月は高校受験である。そろそろ追い込みに入ってきたため精神的なプレッシャーが原因かなぁと思う。

2月くらいから、さらにかゆみがひどくなってきた。小さい頃のように市販のクリームでは対応できなくなった。夜、かゆくて寝られなくなってきた。近所に女医さんの皮膚科があると聞きそこの病院の門を叩いた。軽いステロイド剤を出された。最初は効果があったのだが、しかし、だんだん効かなくなり、その度、薬の種類が変わった。それを繰り返した。そして何度目かで、

「一番強いステロイド剤に切り替えます」、医師にそう言われた。従うしかなかった。

「受験が終わるまでこの薬で頑張ろう」、娘にそう言い聞かせた。しかしその薬も効かなくなってきた。その薬を塗った一時間くらいはかゆみが止まる。そのあと、首から下全部、かゆみが容赦なく襲ってきた。肘は特にかゆいためか、それとも掻きやすいからなのか搔きすぎてケロイド状みたいになっていった。ケロイド状の肘を見つけられると、友達に「ひぇ!」と気持ち悪がられるようになってきたため、学校に行くとき娘は長袖しか着なくなった。そして時おり襲ってくる発作みたいなかゆみと戦いながら勉強をし受験、なんとか志望校に入れたので、正直ホッとした。

無事、受験が終わり、受験のプレッシャーからのかゆみの可能性も考えられるため、様子を見たのだが、高校入学後もひどくなることはあっても良くならない。温泉治療も試したし、市販のかゆみ止めや保質クリームをかたっぱしからためしてみましたが、ダメだった。

アレルギーの血液検査もおもだったものはやってもらい、全て陰性。もしやと思って、もっと細かくやってもらう、そして一つヒットした。カビ。カンジダというカビのアレルギー反応の判定レベル2。レベル2という微妙な数字であるけれども。その後、防カビ対策をし、風呂場は徹底的にカビキラー、洗濯槽も、脱衣場、風呂道具も全部新しいグッツに取り替えたが、発作は容赦なく襲ってきた。娘のアトピーが悪化していった。

そして英断。食事制限。

鶏卵を含め鶏系をやめる、バターヨーグルトも含め牛系をやめ。ラード等も含め豚系をやめ、牛乳をやめ、お菓子もやめ、揚げ物をやめ、飲み物はお茶だけにし、絞込みを狙った。

弁当は野菜とか豆とか米だけの弁当を持たせているので、お父さんは腕のふるいようがなくなった。毎朝、漢方薬と野菜スープ作りにせいを出すことになった。

たまに夜中にかゆみがひどすぎて、気が変になりそうというか、精神が崩壊しそうな感じがし、救急病院に連れていき、精神安定剤みたいな注射をうってもらった。すこしおさまった。日中は気が紛れるためか、我慢することができる日もあったが、夜中は我慢の限界を超えるみたいだった。

発作は止まらない。

娘は中学同様、卓球部に入った。しかしちょっとでも汗をかくとひどいかゆみが襲ってくる。まともに練習に参加できなくなった。娘に言った。「アトピーが治るまで卓球やめたらは?」

娘は泣き出した。「嫌だ!」と、

「分かった分かった!」、部活のことは放っておこうと思った。本人の気のすむようにさせよう。

その後、汗をかきやすい気候に入り、かゆみは度合いが増していった。いろいろ調べるうち強いステロイド剤を使っているうちは根本的に治らないという記事を読んだ。本当に治したいなら、脱ステロイドを断行しなければならない。我々親子は話し合い、ステロイドを塗るのはもうやめよう。副作用の話も聞いていたので、これ以上ステロイドを塗るのは怖くなり、その脱ステロイドとやらの考え方にしがみつこうと思った。もし本当に治すなら今しかない、一生のうちで今の時期しかないのではないか、そんな風に話し合い、決心を固めた。そして薬をやめるべく、かかり付けの皮膚科に通うことをやめたのである。高校1年の夏のことだった。

しかし、それから想像を絶するかゆみとの闘いになったのである。

一番困ったのは夜寝れないことだった。何日も何日もかゆくて寝れない。数日間寝れないとかゆみより強烈な睡魔の方が勝ってくれたときのみ、数十分寝てくれる。かゆい箇所を揉む。あるいは今度かゆくなると予想される箇所を揉む。昼間はおじいちゃんも手伝ってくれた。おじいちゃんがかゆい箇所を揉んでくれている時間帯だけ、その時間帯は親の私が仮眠することができた。

「おとう、かゆい、かゆい」と言われると、かゆい箇所を揉む。親も寝せてもらえないのである。

夜中、気が狂うほどのかゆみが襲ってくることがあった。そんな時は救急病院に連れて行った。点滴を打ってもらうためだ。点滴を打つと、気が狂ううようなかゆみは一時的に軽減した。なぜ軽減したのかは分からないが、先生の見立てでは「血糖値が上がることに関係しているのではないか」とのことだった。

ほとんど睡眠できずに朝を迎えそして娘は登校する。登校しても授業中とにかくじっとしていられないため、1時限の途中で電話がかかってくる。

「おとう、かゆい、迎えに来て!」

そんなことが当たり前になる。

結局、学校へはまともに通えなくなった。高校2年生のはじめくらいまで約一年間休学するような形になった。娘は学校とか進学とかすでにあきらめの感がでてきた。なので学校に行けない日は開き直って仕事はそっちのけで娘とドライブに出かけた。車の振動でかゆみが軽減してくれる。または車窓に流れる変わりゆく景色が気をまぎらわしてくれるのか、少なくても容赦く襲ってくる気が狂うような発作を避けることができた。

 漢方薬でアトピー治療をしてくれる先生が、1月に一度、東京から出張みたいな形でこの町のある病院に診療してくれるとの噂を聞き、問い合わせの電話をしてみた。人気の先生らしく予約制で3か月待ちとのことだった。その待ちに待った診療の日がついに来た。藁をもつかむ気持ちで病院へ行く。いままでの経緯を全て説明した。十味敗毒湯(ジュウミハイドクトウ)と言う漢方を処方された。でも、当たり前かもしれないが、その漢方には即効性はなかった。漢方で体質改善するまでは何年もかかるかもしれないという先生の説明だった。ただ、1つだけ良かったことはその他に紫雲膏(しうんこう)という塗りぐすりを処方してもたったことだ。この紫雲膏は娘のかゆみを多少ではあるが軽減させてくれる効果が認められたため、その後、娘の常備薬となる。紫雲膏はドラックストアで買うと結構な値段がするため、病院で処方していただくと保険が効くため出費を大きく抑えられる。なのでありがたかった。一度診療をしているため、3か月に一度の漢方の先生を待たずとも、その病院の一般の内科の先生でも処方して出してもらえたため、いいアイテムを見つけた形にはなった。それまで使っていたのは尊馬油(ソンバーユ)という塗り薬だった。(とにかくいろんなクリームを試した)。尊馬油と同じくらい紫雲膏の効果のようだった。しかし、根本的な解決には至らなかった。

 ある日の夜中のことだった。娘がかゆくて寝てくれない、お互い数日間一睡もしていない状態だった。親の私もフラフラだった。娘も進学も部活も卒業も全て完全にあきらめた感があり、そのネガティブな気持ちが毎日毎日、自分に伝播してくるようになったためか、お互い精神がヘロヘロな状態になっていた。そんなある日の夜だった、私はアルコールも入っていた。もうはげますのが嫌になった。もうどうでもよくなった。娘にこう口にしてしまったのである。

「お父さん、もうどうでもよくなった。もう勘弁してくれ。お父さんもうダメだわ。」

すると娘は泣き出した。大声で泣き出した。噛みつくように、こう言った。

「思ってもいないのに、何でそんなこと言うだよ!」

確かにそうだった。娘のその一言で目が覚めた。その通りだった。確かに、確かに思ってもいないことであった。心を見透かされていた。もう勘弁してくれという自分の未熟な甘えを見透かされていた。

こう思っていた。

誰かが自分の病気を治してくれるだろう他力本願的な依存の気持ちが娘にはある。自分自身で治すんだコンチクショーという気概を感じない。そういう気概を持たなければ病気に勝てない。娘にそんなこともうまく伝えられないことにイラついていた。うまいこと教えてやれないことに娘にも自分にも不満だったように思う。

しかし娘はまだ未成年なのである。

病気に対し依存的な気持ちになったり、「なぜ自分だけが」と,むくれるような思いに支配さえるのも当たり前だし、そこんとこの気持ちを理解してあげて、あきらめず励ますような言動をすることこそが親でなのであり、私はそれを投げ出してしまい、そんな最低の父親であることが露呈した瞬間だった。魔が差したとはいえ、投げ出すような気持ちをぶつけてしまったのである。自分はクズ以下であり、こんな場面で自分の本性が顕在化し、強い強い父親だとうぬぼれていたつもりだが、とんでもない、ただの偽善者であり,バッタもんの詐欺野郎である。必ず天罰が下るだろう。

 娘の状態がまた悪くなった。ひさびさに保健室のお世話になったらしい。一睡も出来ない状態が三日ほどつづいている。最近は今晩は一睡もできないコースになるだろうなというのが分かるようになってきたため、そんな日は、日中、昼寝をできるだけし、夜の前にたっぷり寝ておく。そして夜中の指圧に備える。看病する方も上手になってきた。最近、知り合いに高いトリートメントをプレゼントしてもらった。かゆみはそれを使用するようになってからと符号する。最近の高いトリートメントはホルモン剤が混入されているらしいとしり、娘は女に子なのでかわいそうだったが、原因はそれかもしれないので、使用を中止して様子をみることにした。

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