インターホン

4.中学生の頃
インターフォン

娘が中学に入学した頃のことだった。

ある女の子が毎朝うちのインターホンを鳴らした。
学校に通学するべく、朝、娘を迎えにきていた同級生の女の子だ。約半年間ぐらい、この子は娘を朝迎えに来た。

名前をレイコ(仮名)という。

市場の仕事をしているお父さんは、朝は早く出かけてしまうので、毎朝、同級生がうちに訪ねてきて、その子と一緒に登校していることを知らなかった。大分あとになってから知った。

ある日、おばあちゃんが、

「毎日、朝、ピンポンが鳴るんだよ、その子と毎朝、一緒に学校に行ってるんだよ」

「へぇー!そんなこと全然知らなかった。へぇそうなの!」

そんな程度の感想だったのだが、そのうち何かのひょうしに娘に聞いてみた。

「お前、朝、クラスの子が迎えにくるんだって?」

「うん!」

「せっかく迎えにきてくれるんだから、ちゃんと待たせないで、いやな思いをさせないように、急いで支度をしないとダメだぞ!」

「わかってるってば!」

「お父さんの時代は、友達を平気で待たせる奴というのは、そういう奴は皆に嫌われて、、だから、、、、、、、」

このような親父の小言をしゃべり始めると、娘の耳の中で、小言はフェイドアウトしていき、実質は聞いてくれてないことに気づく残念なお父さんなのだが、

「ホントにわかってる?」と聞くお父さんに、

「わかってるに、決まってるし!」

そんな娘の語気に思春期というか反抗期というか、そんな、中学生の女子のならではのしつこさを拒否する生理現象みたいなものが伝わるようになってきたので、そんな時はそれ以上のやりとりはやめることにしている。即時撤退を決めている。

「あ、そ、んで、どんな子なの?近所に住んでいる子なの?」と、お父さんは聞いてしまった。

「うーん それが さ」

それから娘の説明が始まった。

その子はうちから歩いて5分くらいのところに住んでいる。つまりその子の家はすぐ近くだ。なので当然、歩いてうちの家まで来ているのかと思いきや、毎朝、車でお父さんがうちの家の玄関まで送って来ているという。

「えェェ !」 お父さんが大声で驚くと、

娘の説明は続いた。

その子のお父さんがたまに送りを出来ない日は、その子のおじいちゃんが車で乗せてくるらしい。娘が外に出た時には、車はもういなくなっているので、レイコ本人から、その話を聞くまで、娘もレイコが歩いて来ていると思っていたらしい。

「な な なんで なんで、すぐそこに住んでいるのに、なんで、なんで?」

お父さんは正直びっくりして聞いた。

「なんでか、わからん」

それから半年間くらい、レイコは毎朝と言っていいほど、うちの家のインターホンのボタンを押した。でも、そのうちこなくなった。

娘に聞いてみた、

「最近、レイコはうちの来てるの?」

娘の話によると、最近自分一人で学校にいけるようになったらしいのだ。迎えにくるのはたまにって感じになったらしい。

いろんな話を総合してのお父さんの想像だか、レイコは要するに学校に行きたくない子だったらしい。
友達といえる子は小学生時代は1人もいなかった。そしてかなり露骨ないじめにあってきたらしい。中学に入学してからもかなりやられていたみたいだ。男子はレイコの前を通る時、息を止めたり、バツゲームでレイコにタッチして逃げるとかのたぐいである。そのため、学校に行きたくないというか、教室に一歩踏み込むことが出来ない子だったのだと思う。勉強は得意な方ではなく、体育や家庭科の時間は明るい顔らしいのだが、主要5科目の時間は死んだように暗くなるらしい。なので、この子にとって、国数社理英の授業が行われる教室は恐怖の館でもあったと思う。またその館に跋扈する同級生は恐ろしいエイリアンみたいなものに感じていたのだと思う。

だから朝、家を出るとき、「ユリッペ(うちの娘)の家まで送ってくれるんだったら、学校に行く。」というレイコとレイコの親とのやり取りがあり、テコでも動こうとしないレイコを懐柔させるため、親はしょうがなくうちまで車で送ってくるという非常に変わった行動になっていったのではないのだろうか。

でも、娘と学校まで通学する約5分間の道のりのレイコはなんとも楽しそうで、そんな場面を何度か自分も目撃したことがある。うちの娘と一緒なら教室の敷居を突破することが出来たのだろう。

でも、なぜレイコは娘をそんな風に頼りにしてくれたのだろう。

理由はいろいろ考えられるのだが、娘は母親がいない。小さい頃から、そのことを包み隠さず回りの人間に正直に話すことを、そんなお父さんの方針に従わざるを得ない状況のなかで学校生活を送ってきた。本人にすればそんなことはもうとっくに慣れっこになってしまっているので、娘は中学ともなれば、その事を勲章みたいに思っている節さえある。想像なのだが、そんなことを勲章みたいに思っている娘に、レイコはホワイトナイトのような強いオーラを感じてくれたのではないだろうか、嘲笑されること、意地悪な目を向けられること、自分を動揺させるどぎつい言葉、皆は出来るのに自分だけできないことへの不安だらけ、そんなこんなの恐怖から身を守ってくれる用心棒のような、そんな存在に写ったのではないだろうかと思ったりするのである。

いつもの朝は、親の自分は大抵が不在で、当然自分の車がない訳で、なので、レイコのお父さんからすればユリッペのお父さんがいないことは外から見ればすぐわかる。そこにいるのは。娘と、やさしいそうなおじいちゃんとおばあちゃんであり、レイコのお父さんもさぞかし送ってきやすかったと思う。うちの家の前でレイコを降ろし、レイコはインターホンの前に立つ。インターホンのボタンに人差し指が伸びる様子をレイコの親はどんな気持で見ていたのだろう。ボタンに向かって少しだけ伸びる指に、自分の娘がまだ数センチだけ生きる力が残っていることを確認し、アクセルを踏みこんだのではないだろうか。祈るような気持で子供を玄関に置いていったのではないだろうか。

そんなことを思うと少し目頭が熱くなるのである。

うちのインターホンのボタンをあまり押さなくなってから一年後くらい、クラスメートらしき子とニコニコ下校するレイコを目撃した。一緒に下校する相手ができたのだろう。そんな時期からレイコはうちの家のインターホンのボタンを全く押さなくなったように思う。入学時、娘と一緒に登校したから、だから不登校の難を逃れたかどうかは実際は分からない。分からないところではあるのだが、その後、一人で学校に通えるようになったことを考えると、うちの玄関に子供を置いていった親、そんな親に、ナイスジャッチと大声をかけてあげたい。

レイコの親は、ユリッペがどんな子なのか、おじいちゃんとおばあちゃんはどんな人なのか、そしてユリッペのお父さんは一体全体どんな感じの人なのか、きっと知りたかったはずだと思ったのだが、しかしあえて、自分は合おうと思わなかった。挨拶をしようとも思わなかった。常識を外れた行動をせねばならなくなった、そんな親におろおろ説明をさせてしまうことの残忍性を感じたからだ。レイコのお父さんの奇々怪々な行動はホトホト困り果てている父親の胸の内を雄弁に語っていた。たまに平日、私は市場の仕事が休みの時があった。なので通学時間に表に出ることを避けた。レイコのお父さんと出くわさないようにすることが自分にとっての武士の情だった。

むしろこちらとて感謝している。娘は決して愛想の良いほうではない。長年の父子家庭生活は彼女から無駄な愛想笑いを奪ってしまったように思う。そんな生活からなのか一人一党的なところがあって人の世話をやいたりする、いわゆる面倒見のいい方でもない。そんな娘に強さを感じ取ってくれたこと、そこに期待してくれたこと、うちの玄関に置いていけばもしかしたらなんとかなるかもしれないと思ってくれたこと、自分としては実を言うとありがたくてありがたくてしょうがない気持で一杯なのである。

話は変わるが、もう一人、男の子で不登校の子が同じ学年にいた。小学校も不登校だった。風の便りの情報だが、学校へ行こうとすると足がガクガク震えて止まらなくなるらしい。
中学1年生の始め頃、5月に炊事遠足があった。その時だけ、この男の子は遠足に参加したらしい。
しかし、クラスメートの子が

「こういう時だけ来るのかよ!」と、うっかり口をすべらせたらしい。

その後、卒業するまでの約3年間、この男の子が学校にくることはなかった。そして卒業するまでの間、この子の座席は空席のままだった。不登校専門の子供が集まる、そういう学校があるにもかかわらず行くこともなく、ひきこもりのまま時を過ごしたことを空席は物語っている。が、しかし、口が滑った子を悪いとは思えない。滑った言葉は一見意地悪で無神経な言葉だが、学校とはそういうところなのだ。口を滑らせた子の言動の方が自然なのである。では不登校の親の過保護さに目がいきそうだが、一概にそうもいえない。全くなんの変哲もない普通の家庭の子がある日突然不登校になってしまう例は沢山あるからである。昔、うちの家の近所にとても頭が良くて、いわゆる聡明で可愛い感じで、お母さんはさぞかし鼻が高いことだろうなぁと、羨むような女の子がいたのだが、小6から不登校になった。中学の3年間も一日も学校には行かなかった。

信じられないことが世の中は起こりうるのだという思いが自分には焼き付いてしまった。なので、たまに、不登校の子が専門で通う学校がこの町にはあるのだが、その学校の前を通る度、もしかしたら、うちの娘もこの学校でお世話になるのかもしれないなぁ、などと思いながら、その学校に車で送り迎えする親子の様子を明日は我が身の思いでひしひしと眺めることがあった。

子供の運命に絶望を感じた時、他人の子の運にたよってみるのも一計ではないだろうか。

本当に死にたいと思うくらい苦しんでいらっしゃる不登校児の親御さんが存在するため、軽々しいことは言えないが、誰にも相談できない時には、相談できないなりに、いろいろ方法が残されているように思う。レイコのお父さんが選択した行動のように、一見まわりから見ると不思議な光景に思われる行動は、実は、何万通りの言葉で説明されるより、雄弁なこともある。親のプライドや親の恥ずかしいという気持ちが、問題を実は複雑にしている場合だってあるように思う。レイコのお父さんの奇怪な行動は、実は誰にも迷惑をかけず、相談員の訳のわからないウンチクの餌食にもならず、それでいて合理的でリーズナブルで手っ取り早い、そう考えるとみごとに最善の方法を選択したと言えるのではないだろうか。

レイコにとってうちのインターホンは学校の窓だった。学校に行きたいけど、行きたくないという気が狂うような思いの中で、でもボタンを押せば行けるかもしれないという、そんな窓口だった。ボタンを押す指の若干の圧力が彼女の「生きる力」だったことを思うと、年をとったせいか涙が止まらないのである。

 2年生になり、クラス変えがあった。担任の先生にいろいろ書類を提出しなければならない。家族構成の表とか、図解入り通学路表だとか、そんな書類の中に友達が誰かを書き込む欄があった。たまたま娘の隣に居たので、娘は何て書くのかなぁと、娘の手元を盗み見した。「卓球部女子全員」、と書いていた。次に書き込んだのは、クラスは離れたが、小6の時、娘に「転校してきてくれてありがとう」と言ってくれた子の名前、そしてもう一人、レイコの名を書き込んでいた。

「へー?」、とお父さんは率直にそう驚いた。

こう思った。

「そうか、娘自身もいろいろと学んだんだ。いろんなことを学んでくれたんだ。そういうことだったんだ。」

なんとなくだが、感謝の様子や成長のしるし、娘の「友達の欄」は親の私にいろんなことを報告してくれたように思う。

 春、レイコは卒業を迎えた。人差し指の筆圧ほどの意思しか持っていなかったあの弱々しくてかぼそい女の子は卒業の春を迎えたのである。彼女は無事、卒業をした。娘とは別の高校へ行くことになる。レイコはこの一人一党的な雰囲気を漂わせながらの愛想も面倒見も良くない、そんな娘の心をして友情の気持ちを芽生えさせるまでに至ったように思う。そんでもって自分はこう想像するのである。傍らの友達を意識できるようなるということは、そんな頃からは、もしかすると、自分をいじめる人間は敵対する悪者というカテゴリーに分類できるように変わっていくのではないだろうか。悪者と味方というわかりやすい構図が成り立った時くらいから、一人でも味方がいる状況になれば我慢せず戦いという感覚に変わっていく。レイコは生まれて初めて戦うことを知るようになる。きつい言葉や意地悪な仕業との戦い方を学習するようになる。一緒に戦ってくれる味方が出来、自分の方に正義の分があると感じた時、悪は正義との対局になる。正義か必ず勝つことを信じているレイコは、レイコは戦わずとも、もうすでにある種の力を手にしたのではないだろうか。その力は、きっと、レイコのお父さんが、強く望んでいたあの力であり、人目をはばかりキッカイな行動をしながら誰にも相談できないで困っていた程、それ程自分の子供に手渡したかった力のようなものではないかとそう思う。状況を好転させたのは親のなりふり構わぬ愛情だ。挙動不審で格好の悪い、そんな愛情である。そして言うまでもなく、レイコは力を振り絞って、他人の家のインターフォンを自分の意思で押したことである。この家のボタンを押したら、もしかしたらなんとかなるかもしれない、そう感じ、うちの家の玄関先で勇気を振り絞ってくれた様子を想像すると、やっぱり涙が出るのである。

 当初、同情だった娘の気持ちが少しづつ変化していく。同情する用心棒は友達を守る友達へと変化していった。それに伴いレイコにとっての学校の窓はインターホンから別なものへと徐々に変わって行ったように思う。毎朝鳴る我が家のインターホンのベルはモールス信号だったのだ。信号は「SOS」だった。「ヘルプミー」だった。「学校に行きたい」だった。モールス信号の悲鳴は毎日やむことがなかった。しかしそのうち回数が減っていき、そして鳴らなくなった。鳴らなくなった朝のベルの静寂は、なんだか、いろいろを語ってくれるのである。今も、なんとかかんとか、懸命に頑張って生きているレイコの様子を伝えてくれる。無言のベルは今もそれを微笑ましく伝えてくれるような気がするのである。

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