入学

3.小学生の頃

卒園と入学おめでとう。もうはや小学生になっちまった。

 約6年間お世話になった保育園を去るのは実はお父さんもなんだか寂しくてしょうがない。保育園生活を振り返って、お父さんがとてもうれしく思うのは娘の出席日数がダントツで一番だということだ。そして遅刻しなかった回数、早退しなかった回数も娘がダントツで一番だということだ。でもこれは親からすると決して自慢できることではない。それだけ子供の面倒を見れる余裕が親側に無かったということになる。めいっぱい保育園に依存しなければならなかったお父さんの甲斐性のなさを同時に物語つているようだ。しかしお父さんが評価したいのは 家の事情を知ってか知らずか、ごろつかずに毎日登園してくれたということだ。そのおかげで、お父さん、どれだけ助かっただろう。そのおかげで思う存分仕事ができました。

 そんでもって、お父さんが実はもっとうれしく思うのは、君が丈夫になったことだ。丈夫なからだで小学生を向かえられることだ。以前は日曜祭日や大晦日や元旦に限って熱をだしたり具合が悪くなったりして何度も救急病院のお世話になったものだ。お父さんが忙しい時に限って、そしてまるでお父さんを困らせるかのように君は病気になった。お父さんは知っていた。試されていると。子供を育てることが出来る親かどうかを試されているんだと。だから夜中に君を抱えて夜間病院へ駆け込むとき、どんなにせつなくても、へっちゃらでニコニコ笑っていられたのだ。

なんぼでも頑張れた。

君に子を育てる親のお墨付きをもらえるまで、これからも、なんぼでも頑張るつもりでいる。

 いわゆる君は虚弱体質の子だったので、それでなるべく遊ぶ時は公園を走り回ったり、戦いゴッコをしたり身体を動かす遊びにがぜん力が入った。お店も思い切って日曜日休みにした。店はつぶるかもしれないと思ったが、園の休みの日は娘と遊ぶことを優先した。お客さんにはえらく迷惑かけたが、おかげで沢山遊ぶことができた。山の奥の奥の方まで入っていき鬼ヤンマや殿様バッタやカラスアゲハを取りに行ったりした。めだか取りでは、おもしろくてしょうがなかったのか 何時間も集中力がとぎれることがなかった。変った滑り台のある公園を見つけるとすぐチェックし、休みの日必ず出かけた。公園のはしごもした。公園で暗くなるまで遊んで、何百人もいたというのに、気が付くと我々が最後の2人になっていたことはしょっちゅうだった。
 外で走り回って遊ぶことが好きにさえなれば必ず君の身体は丈夫になっていくだろうと信じていた。無信仰者のお父さんの微力な祈りはめずらしく神様まで届いたみたいだった。君はメキメキと強くなっていった。

 そしてお店はつぶれなかった。

 でもそれと反比例して君は女の子らしさを失っていった。女の子の定番であるドレミちゃんやハム太郎のビデオには興味をしめさない子になっていった。最近目の色を変えて借りるビデオといえばゴシラ、ウルトラマン、ハリケンジャーだ。(笑)これじゃ 将来 「やっぱ男親が育てたら雑に育っちゃうんだね」と、人に言われかねない。
男の子みたいな遊びばかりさせて、確かに君は丈夫になったかもしれない、けど、失ったものもある。プラスマイナス ゼロってとこかな。でも今は風邪もひかないほど頑丈になったみたいだから ま、許してもらいたい(笑)。

 そしてお父さんがもっともっとうれしいのは、

「あした日曜日、プールに行くから誰か友達をさそってもいいよ」と言うと

君はクラスの全員を誘ってしまう子だった。

おかげでお父さん、クラスの皆を送り向いさせられた。5人乗りの配達用のKトラックに お父さんと子供が6人とか7人だから、おまわりさんに見つからないように運転するの大変だった。
ひどい目にあったけど、でもお父さんは内心うれしかった。特定の友達を誘って特定の友達を誘わないのは、いやなのだろう。誘われなかった子が とっても寂しい気持ちに陥るということを すこしだけ理解できてるみたいだった。相手の気持ちをおもんばかる力が、もしかすると、ひっとすると、ちょっとだけ芽生えてきたのかもしれない。

ようし いいぞ そんな調子で小学校生活も楽しくやっていこうじゃないか。

 最後になるけど君の入学時期とダブって、海の向こうでは戦争が始まってしまった。

 オスカーを受賞した映画監督が反戦メッセージを熱弁し、戦争を始めた自国の大統領を罵倒した。誤爆により一般市民が殺されるニュースが毎日のように新聞の上に張り付いてくる。どうか わすれないで欲しい。海の向こうで戦争していることを、流れ弾がピュンピュン飛んでくる場所で生活してる君と同じ年の子供達がいることを「平和」とは 流れ弾がピュンピュン飛んでこない状況のことを指していんだということを

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