大晦日のお父さんの通信簿

3.小学生の頃

以前娘に買ってあげた靴がある。
室内でもテニスをすることもあるからと、奮発してナイキの運動靴を買った。冬休みに入ったので、このところ最近忠和体育館へ行き、娘と室内マラソンコースを利用し走っている。
そういやあのナイキのシューズをはいていないことを思い出し、茶の間で、

父 「そういや最近体育館へ行く時、なんであの運動靴履かないの?」

娘 「ん?だって あの靴 小さくなちゃって親指が痛いんだもん」

父  「へ?!なんで言わなかったの?」

娘 「うーん なんとなく」

なんで言わねぇんだよ。そういうこと、なんで言ってくれないんだよ。

そうか娘は娘なりで今家がたいへんだってこと知ってるんだ。お父さんが結構たいへんだってこと知ってるからだ。だから靴買ってくれって言わなかったのか?それから、なんだかいてもたってもいられなくなって、突然何かに引っ張られるように自分は立ち上がった。

一人車に飛び乗った。おもちゃ屋さんへ直行した。

今年クリスマスに娘が一番欲しかったものがある。

それが何かを知っていた。
DSだ。任天堂のDS。色はピンク。カセットは「動物の森」。

 実をいうと無理すれば買えたのだが、何万円もするおもちゃを子供にひょいひょい買ってやることに抵抗を感じたため、娘がクリスマスがきた時に「欲しい」と言ってきた時、「ダメだ」と一蹴してしまった。だから今年は第二候補のエンタマで我慢してもらった。

おもちゃ屋さんに着き、売り場からカセットを取りショウウインドウの中のピンクのDSを指差し店員さんに

父「これ下さい!」

店員さん「ハイ プレゼントですか?」

父「いえ違います。プレゼントではないので包装しなくていいです。そのままでいいです。」

褒美をあげたかった。

娘にどうしても褒美をあげたかった。小さくなった靴を我慢したことに対して 娘を不憫に思ったからではない。子供がかわいそうだと思ったからでもない。新しい靴を買ってくれと言わない娘に成長を感じたからだ。娘が成長していることがうれしくてたまらなかった。だからどうしても褒美をあげたくなった。褒美をあげたくてしょうがない自分をどうすることもできなかった。

 家に帰ると娘はいなかった。


おばあちゃんと買い物に行ったみたいだった。2階の茶の間のテーブルの上にDSを置き、お父さんは一階の仕事場でオーダーのお弁当を作っていると、娘とおばあちゃんが帰ってきた。娘は階段をあがる。そのうちテーブルの上のDSを見つけ、喜んでどたばたと階段を下りてくるだろう。

 でも残念だが、しばらくたっても娘は下りてこなかった。仕事が一段落したので2階の茶の間へ行く。娘は紙にマンガを描いていた。DSはまだテーブルの上だった。気が付いていないみたいだった。

父 「おい 買ってきたぞ!」

娘 「何を?」

DSを見せた。

娘は大きな口を開け止まったままの顔を見せる。最近喜んだり驚いたりした時に見せる娘特有のパフォーマンスだ。

娘 「カ カセットはカセットもある?」

父 「うん ある 動物の森」

娘はDSに飛びついた。DSの梱包とカセットの梱包をあわただしく開ける。そこにおばあちゃんがやってきてDSを見て、

おばあちゃん「あれ?これって お父さんがダメって言ってたやつじゃ?」

父 「うん でも今年は こいつ、がんばたっから だから買ってきた」

おばあちゃん 「へー?」

おばあちゃんは私が衝動買いなどしない性質であることをよく知っている。だから不思議そうだった。

たしかに私は衝動買いするタイプではない。

でも今日は衝動買いしてしまった。
 
 新しい靴を我慢した娘の話を聞いてから、車に飛び乗りおもちゃ屋さんで清算をすませるまで、おそらく15分かからなかったお父さんの行動は電光石火だった。でもそんなことより、店員さんに「プレゼントですか?」と聞かれて、プレゼントなのにそれを否定したのはなぜなのか、そこんところの方が自分としてはとても不思議だった。喜びの娘のパフォーマンスを見たかったからなのだろうか。よくよく考えてみると褒美をあげたかったという気持ちは後付けでしかなかった。自分は娘の喜ぶ顔がどうしても見たかった。娘の喜びのパフォーマンスは自分への褒美だったからだ。おそらく私は自分に褒美をあげたくて衝動的で奇怪な行動に出た。店員さんに「プレゼントではない」ととっさに答えた理由もうなずけた。

 今年は勤め先が倒産してしまい、いろんなことがあったのだが、娘もがんばったしお父さんもがんばった。父と娘と二人でいっぺんに満足する方法は大晦日にDSを買うということだった。

そんな気がする。

 12月のはじめに参観日があった。成長著しい今の時期、娘の服とズボンはつんつくてんだ。服は小さくズボンの丈は短い。

ズボンの丈の短さは今の親の経済状況の余裕の無さを表してしるようだ。

 加えて、娘の服はおばあちゃんが見立てる。おばあちゃんは昔の人なので色合いやタッチとかより値段を集中的に見て買うのだろう。だから娘はブランドものとはおよそ縁がない。その日もえびちゃ色のTシャツに丈の短いズボン。あきらかにださいファッションセンスに身を包んだ君がポツンといる。とってもとっても地味でダサイ君がポツンといる。それに加えて学校から持ってくる漢字の書き取りや算数のテストはドラえもんのノビタ君みたいな点数ばかりで、残念ながら君はいわゆる出来のいい子供でもない。

そんな君がクラスにポツンといる。

でももし、

がまんする能力を問う科目があるとすれば君は満点だろう。もし人と喧嘩をしない才能を問う科目があるとすれば君は満点だ。人と人が喧嘩をし それを見てどうして喧嘩するのか不思議でしょうがないと思える能力を問う科目があるとすれば、それもまた満点だろう。

朝 お腹が痛くなり、「今日学校休むかい?」とお父さんが聞くと、

首を横にふり 「行く!」と答えて痛みをこらえて通学する 

そんな能力を問う科目があったらそれもまた満点。友達との秘密はお父さんにも絶対にしゃべらない そんな能力を問う科目があれば君は満点。人を笑わせようとするサービス精神も満点。相手が楽しいから、だから自分も楽しいと思える能力もまた満点。卑屈な物事の考え方にとらわれない能力も満点、いじけた気持ちに支配されない能力も満点。明るさは特に満点。

お父さんの通信簿の中で君はちゃんと光っている。

だから地味でも勉強ができなくても焦らないでほしい。人は親バカと言うだろうが、親バカ勘弁である。

そして貧乏万歳である。

今の環境がどうであれ、またこれからどうなったとしても、新しい靴を我慢しようとした気持ちを、お父さんは一生わすれないだろう。

だから来年も一生懸命働こうと思う。君のパフォーマンスを見たいからだ。働くのは君のためではない。

よくよく考えると、なんだかそれは自分自身のためであるようだ。

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