バケツをひっくり返したような雪だった。
大雨が降った際、決まり文句みたいになってしまった気象表現をパクッて、そう言いたくなるくらい、昼頃に雪が大量に降ってきた。そんな日だった。
丁度、娘が学校から帰ってくる時間帯だったため少し心配になった。
この日は娘が小学4年生になって始めての4月の始業式の日、この町は4月だというのにめずらしく吹雪になった。
娘にしてみれば転校生として初めて通学する、いわば初陣の日でもあった。
そろそろ帰ってくる時間だなぁと思い、少し不安になったので、途中まで迎えに行った方がいいかな、いや待てよ、もう4年生だし、過保護的な考え方は捨てた方がいいかな、どうしようかと迷ったのだが、前の学校の時の通学路より距離があるし、慣れない初めての通学路だし、やはり不安には勝てなかった。
というか、子供に対して封建的な父親であるつもりの自分だったが、そんな自分を心配にかきたてる程、それ程、降雪の量が尋常でなかったのである。
通りに出ると、すでに雪解けを終わらせたアスファルトの上にぶつかるように雪は降りてくる。
その様子は季節はずれそのもので、そんな降り方を日本気象協会風に素人が生意気にもマネをして言うなら、視界20メートル、といったところになるだろうか。
視界が悪いので、足元の路肩の歩道を頼りに学校に向かって歩いていく。
歩いていると、娘らしき影どころか、人っ子1人誰も歩いていない。いったん引き返そうと思った。
その時、大雪の向こうに、数十メートル先、視界のギリギリ付近くらいから3つの人らしき影が浮いてきた。
ありゃ、もしかして、娘かもしれない。
小学生の女の子3人のようだった。ランドセルを担ぎ、両手の甲を外側に向け、肩かけに二つの拳をぶら下げるようにしてランドセルを担いでいる様子は3人ともが同じで、そんな影がこちらに近づいてくるのが分かった。
娘かもしれない。
輪郭が少し見え出してきて、もしやと思って、自分は目を凝らすために首を前に伸ばすようにした。
よく見ると、影の正体のひとつはやっぱり娘のようだった。
真ん中の影が娘だった。
真ん中の影が娘で、両隣の子供はクラスの女の子達だろう、標準の背丈の娘より発育が良さそうで大きい、真ん中の娘は捕縛された宇宙人にも見えた。
娘は、本日会った出会いたてホヤホヤのクラスメート2人に囲まれて帰ってきたようだった。
近づいてくるにしたがって、かろうじて、顔の表情まで認識できるようになる。
なにやら質問されているようだった。娘はうれしそうに答えているようだ。
転向してきた初日に、いきなり話し相手ができるとは思っていなかっただろう。
娘はうれしそうだった。うれしくてしょうがない気持ちを隠しきれない様子が満面に浮かんでいる。
おそらく、今朝、通学する時は不安だらけだったと思う。
知らない人間達の間に飛び込んで行く時の「いやさ」で、つぶされるような思いだったのかもしれない。
もうすでに出来上がっているだろう、そんな同年代の子供達の中によそ者として入っていき、またまた一から人間関係をこしらえていかなければならない面倒くささを考えると、気が遠くなり、めまいのする思いだっただろう。
転校生の宿命とも言える、そんなハードルを与えてしまったのは自分である。
100%親の自分のせいであり、そんな後ろめたさもあったので、本日、娘が学校に行っている時間帯はずーっと、なんとなく仕事が手につかなかったような気がする。そんな気がしたのは正直な気持ちだったと思う。
なので娘のうれしそうな顔を見て、少し気が楽になった。
娘のうれしそうな顔を見て、こう思った。
君は金策に走り回って、それがうまくいったどっかの中小企業の社長のようだった。
運転資金の借り入れの申し込みがうまくいった中小企業の社長のように、いっときの間だけでも、お金の心配をしなくてすむようになってホッとする中小企業の社長のように、君はとてもうれしそうで幸福そうだった。
必死で目の前の希望にしがみつこうとする、そんな人間のドロくさくて痛々しいつかの間の喜びのように見えた。
お父さんにはそう見えたのだ。
でも、その瞬間から、ついさっきまでの親の心配は取越し苦労に変わった訳で、その後、自分がとっさに考えたことは、どうやって身を隠したらよいかということだった。自分は何か悪いことをしているみたいに狼狽した。
せっかく、クラスメートといい雰囲気なのに、そんな時に、子供達の前で見つかること自体、バカ親ぶりを露呈させてしまう。
子供同士のせっかくのいい感じをぶち壊すことになる。なにより娘に恥をかかせることにもなる。
娘やクラスメートに見つからないように、踵を左に90度回転させ、何事も無かったように装い、左の路地に逃げるように入った。
必死でとぼけようとした。その時の自分の奇怪で挙動不審な様子は、おそらく犯罪者のそれと同じではなかっただろうか。
でも、その時の自分の狼狽ぶりと挙動不審ぶりはおそらく娘にばれなかったと思う。そんな変な自信があった。
そんなしょーもない自分を見事に隠してくれるほど、それ程、辺り一面、大量の雪だったことが幸いしたのである。
大雪はバカ親の不安をかきたて、大雪はバカ親の醜さを隠してくれた。
大雪は一瞬だがドラマチックな喜びを演出してくれた。そして、バカ親の暴走をいさめてくれたし、子供の足を引っ張る親の自分を後ろから羽交い絞めしてくれたようだ。
親の自分がまだまだ未熟であることを教えてくれた。
親が自立できていないこと、そして親が自立できていないのに子供が自立できる訳がない、そんなことを伝えてくれた。
親の感傷的な思い程、百害あって一利無しはない。
自分の正体をいかに消すか、それが出来ない親はきっと大馬鹿野郎なのである。
子供をどこで切り捨てるか、その「どこで」の決断が親の仕事中の仕事である。
いつか子供を切りすてなければばらない。そんな機会をこれから虎視眈々と狙っていかなければならないのだろう。そう思った。
本日露呈したのは、みっともない己のオロオロした姿である。このままでは子供から離れることはできない。
子供から離れなければ、子供を切り捨てることができない。
子供を切り捨てることができなければ、子供が自立できる訳がない。
子供が自立できなければ、将来、子供が幸福の追求を始めてくれないだろう。
単純な算術なのだ。
子が親に依存するのと同様、親の自分も子供に精神的に大きく依存してしまっているのである。
それは自分が特に生きる目的が見つからないまま、子育てに心が向いてしまったからに他ならないのである。
子育てを自分の生きがいだと思っていたのかもしれないし、思おうとしていたのかも、である。
でもそれはとんでもない間違いであり、いい迷惑は子供の方だろう。
自分は要するに路地に逃げ込んできたのだ。
子育てという、自分の身を隠すのに恰好の路地に逃げ込んできたのだろう。
今さっきの自分の行動のように、娘にみつからないように、逃げようとしてしまった行動のように、自分の子育てというものは犯罪者のように挙動不審でオドオドしながら、そのつど路地に逃げ込んできたのかもしれないのである。
このままでは親子で共倒れになってしまう。
子供を自立させるためには、まず親が自分自身の生きる目的をちゃんと持つことだろう。
残り少ない人生かもしれないが、しっかりとした、人生計画をしたためることである。
そんなことを感じた。
大雪は本日、そんな事を自分に考えさせてくれたようだ。
その後すぐ、自分は小走りに家に帰った。幸い娘より早く家に着いた。
自分が家について後、娘も到着した。
自分は何事もなかったように雑誌を読む振りをした。
「ただいまー」と言いながら靴を脱ぎ、茶の間に入ってきて、ランドセルを肩からはずし少し間を置いてから、「あ そういえば」と、切り出した。
「あ そういえば、今、ちかちゃんって子と、ももちゃんって子と3人で一緒に帰ってきたさ。」
娘は忘れていたことを、まるで偶然に思い出したみたいに切り出した。
本当は家に着いた瞬間に報告したくてしたくてしょうがない情報だったはずである。
「あ そういえば」などと、余裕をかまして見せたのだった。そして娘の目は「すごいでしょ!」と言いたげだ。
雑誌を読むふりをする父親と、そして思い出したように報告する娘。なんだかお互いわざとらしいというか妙な感じがした。
転校時はしばらくの間、こんな風に天まで昇るように喜んだり、自殺志願者のよに暗闇に陥ったり、そんな精神の乱高下を繰り返すんだろうなぁと、そう思った。
転校生の君はやっぱり中小企業の社長のようだ。
でも、君に中小企業の社長の姿が浮かんだのは、それは君が一生懸命であり、必死であり、がんばっている様子を感じたからだと思う。
だからそれを見て、お父さんもがんばろうと思ったのである。
金融機関に、アイデアを持ち込んで交渉したり、ダメでも、他の金融機関にアタックしたり、それでもダメなら、投資家に自分のプランを聞いてもらいに行ったり、なんだか色々な事をやってみる、そんなどこかの中小企業の社長みたいに、自分の人生の事業計画をあきらめないで、見直して、立て直してみようかと思ったのである。
君の心配をする以前に自分の心配の方が先だったかもしれない。
自分の面倒を見れない人間が、なんでなんで、子供の面倒をみれるだろうか。
自分のような人間が子供の心配をするなど、10年早かったのだ。
大雪はその後、すぐやんだ。
でも、せっかく雪解けが終わったばかりだと思っていた町内のようやくの景色を、過去の真っ白な冬に引き戻してしまったようだ。
転校生の娘の心配をするのは、もうやめよう。
学校で苦労しようがどうしようが、それは君と君の運に任せようと思う。
お父さんは君に質問されたら、質問されたことだけを答える。
もし質問されなかったら、口にチャックをする。
質問されるまで口にチャックする。
君が手を貸して欲しいのなら、貸して欲しい分だけの手をさしのべる。
助けを必要としないなら、沈黙する。
困っていたら、ほっとこうと思う。
そんな親を目指そうと思う。
お父さんは今日から、今一度「自立」の勉強をさせてもらうことにする。
君が学校で国語や算数を学習するのと同じようにだ。
自立できなければ、生きるあてなど、見つけることはできないように思う。
お父さんはもう一回、自立し、生きるあてを、見つけてみようと思う。
君の心配はそれからにしようと思う。
転校生の今の君のように必死な気持ちを大事にしていこうと思う。
どこかの中小企業の社長のように、なりふり構わず、生活感丸出しなそんな感じを大事にしてがんばってみようと思う。