昨日 園に娘を迎えに行き、帰るとき玄関で娘が、一つ下くらいの女の子に「君!お母さんいないんでしょ!」と、言われてました。
娘は「うん!」と答えてました。
しょっちゅう言われてるみたいです。
父子家庭は園でうち一軒なので珍しいのでしょう。また、お母さんが居ないというのは他の子からすると超不思議な事柄に写るのだとおもいます。
当然、男の子はもっと残酷です。
「どうしてお母さん居ないの?ねえ!どうして?!」
しかし、この何年もの間、娘にすれば耳にタコが出来るくらい慣れっこになってしまったことなのです。聞かれるのも返事をするのもです。娘が自然に返事をかえすので、先生方もあまりそのやり取りに心配はしていないようです。鈍感なのかもしれません。強いのかもしれません。1歳のときから お母さん無しの生活が始まっているので、母親の姿、形を彼女がイメージイングすることはできません。でも園でその質問を君がされるたび、胸の中でガラスがまた一枚「パリーン」と割れる音がお父さんには、なんとなく聞こえるのです。考えすぎかもしれません。でもなぜそう思うかというと、娘はお父さんにほとんど
「どうして私にはお母さんが居ないんだ?」と言う質問をしたことがありません。うちの家のなぞのひとつです。
聞かないのです。お父さんには..ふしぎです。
そして夜寝るとき、まるでロッククライマーが岩によじのぼる時のように、毎日、両手両足をお父さんにがっちりしがみつかせて寝ます。痛いほど強くしがみついてきます。その娘の様子から聞こえてくるのは
「なんで自分には お母さんが 居ないんだヨー?」ではありません。
こう聞こえるんです。
「毎日、聞かれてんだよ! 何でいないのかって 聞かれるんだよ! なんて答えたらいいんだよ! 聞かれるのもういやナンダヨ!どうやって うまいこと 答えたら いいんだよ! おしえてくれよー 助けてくれよー! お父さん、大人なんだろ! 助けろよ! なんで助けてくれないんだよー! おまえ 大人なんだろ! 大人なんだから「助けろ」って言ってるんだよ!」
が、しかし お父さん 助けてあげられないんですよね。どうしようもないんです。
世の中には事情を持った家庭がいっぱいあるんです。君だけじゃないんです。そこに気がつかなきゃどうしようもないんです。そこに気がつける年齢にならなきゃ、どうしようもないんです。
無信仰なお父さんですが、この時ばかりは、祈りに力が入るんです。
微力な祈りと分かりつつ
「早く強くなってくれ!早く強くなってくれ!早く強くなってくれ!早く強くなってくれ!早く強くなってくれ!早く強くなってくれ!」
気が付くと そんな言葉を連呼してます。そして背中をさすります。さすりながら また
「早く強くなれ!早く強くなれ!早く強くなれ!早く強くなれ!」....
バカの一つ覚えみたいに またはじまります。
でも そのうち 娘がもっと大きくなって ちゃんと向き合って話をしなきゃいけない日がきますよね。
「なんで お母さんが いないんだ!」 そんなテーマで.....
お父さんもその質問がいつくるのかいつくるのかと思ってはいるのです。でも実を言うと 聞かれたときどうしようかあまり深く考えてません。いきあたりばったりでいこうと思います。というか、先に考えすぎて言うことを決めてしまっていると理論武装することになり、大人特有の言葉の鎧(よろい)を着ることになるからです。その時がきたら、その場でしどろもどろになりながらでも、どんな小さな嘘もかなぐりすてるような赤裸々な気持ちで目の前の娘の感触を確かめながら、臨機応変にしゃべってみようと思っているので、それまでは、お父さんの頭の中では白紙にしておきたいと思っています。考えないということが最大の誠意のような気がしてしょうがないのです。
でも毎日のように「お母さん居ないんでしょ?」と聞かれる保育園に登園するのはイヤなんでしょーうね、きっと。
しかしこの5年間病気の時意外はほとんど登園してます。無遅刻です。無早退です。「行きたくない」とゴロツイたことないのです。ですから 親バカと言われても、お父さんはこの子を「偉い!」と思っています。誇りに思えます。袂は分かちましたが誇りに思える子供を生んでくれた娘のお母さんにも ちゃんと感謝しています。