授業参観1

3.小学生の頃

今日は参観日なので午前中で仕事を終わらせなければならなかった。

こんな日に限っていそがしい。
給食の納品もこんな日に限ってたくさんある。ゆえに、商品を集めるのも伝票を切るのも配達するのも時間がかかる。またこんな日に限ってあちこちから電話が鳴る。それでもスーパーマンのような身の軽さで仕事を終えることに成功する。

 やった!参観の時間に十分間に合った。

授業が始まる。
娘はお父さんのいる後ろをチラチラ振り返る。お父さんの存在を確認していちいちニヤニヤしている。お父さんが来ていてうれしいみたいだ。

 でも実を言うと 娘が喜ぶ以上にその何十倍もお父さんはうれしかった自信がある。自分の存在を喜んでくれることほど、こんな幸福はこの世にない。そう思える。

 がしかしそれは、お父さんのつかのまの幸せだった。
自分が来て喜んでくれるのはおそらく今だけなのだろう。世に映るもの全て幻とはよく言ったものだ。お父さんが参観日に来て喜んでくれるのはあと何年くらいなのだろう。「はずかしいから来ないでね」と言われる日は はたして何時ごろなのだろう。いや、もしかすると そんなひどい事を言うとお父さんが傷つくからと、言えずに でも「やっぱり来て欲しくない」という気持ちの葛藤で 彼女を苦しませる日がくるのはいつだろう。君の表情からそんな微妙に揺れ動く乙女心を察知してあげられる芸当が将来の自分にできるだろうか。君にとって お父さんが「気持ちの悪い物体」でしかなくなる そんなXデーはもうすぐそこまで来ているのだ。母親なら反抗期になると娘と友達として付き合っていく方法がまだ残されている。父親だけの親にはそのまやかしは通用しない。つまり時間がないのだ。自分がまがりなりにも培ってきたいろいろなノウハウを伝えていくには時間があまりにも足りないのだ。

だから毎日 気持ちだけがあせる。

参観が終わり懇談会が始まる。先生がいろいろ話しをしてくれる。上の空でその話を聞きながら自分はXデーの事だけで頭が一杯だった。

誰かが言ってた。
男の子の反抗期と同じで 女の子にとって、父親のことを「気持ち悪い」と感ずる時期は必要かつ重要な生理現象なのだと。だからその時、娘のいやがることはなるべくしたくない。その時、君の気持ちに鈍感でない父親になるためにはどうしたらいいのだろう。親だし、そんなオドオドした考えに捕らわれずに何も考えずにどんと大きく構えていた方がいいのだろうか。

でも確実にそのハードルが目前にせまっている。

きっと話かけても返事もしてくれない そんな日が着々と迫っている。
私に向かって闘牛のように透明の角をむき出しにして毒ついてくる そんな悪魔の日が近づいているのだ。その時、君のイライラを気前よく全て受け入れられるよう、今のこの瞬間の幸せをたっぷりと吸い込んでおこうと思う。たっぷりと吸い込んだこの幸せはお父さんにとってあるいは君にとって 将来大きなクッションになるような気がしてならない。幸せとは将来おこりうるであろう不幸な出来事の歯止めなのかもしれない。困った時のヘソクリかな。予備のトイレットペーパーみたいなもんかな 幸せって..。

先生 「お父さん?お父さん?」

私  「ん? あ? ハイ?」

先生 「あの自己紹介 お願いします。」

私  「ん? 自己? あ えーっと 〇〇と言います。この小学校の卒業生です。」

(先生が気を使ってくれて、おおきなゼスチャーでうなずいてくれる。)

私  「えーっと」「えーっと」   (やべー言う事忘れてしまった。)

   「言う事わすれたのでこれで自己紹介終わります。アハ」

むろん この突然の間(ま)では 最後の救いである「笑い」すらゲットできなかった(泣)。父子家庭のお父さんとしては、ここで確実に「笑い」をゲットし「ある程度の好感度」にもっていく必要があった。とても大事なターニングポイントだったと言える。ホームランとは言わないまでも、バントで確実に得点圏にランナーを進めてからタイムリーを待つという作戦のつもりだった。敬遠されがちな親子である我々にとって、円滑な人間関係をこれからこしらえていくうえで手痛い失点だった。

(やべー しくじった。!)

他の父兄さんに「変な親子じゃないですよー」というアピールの場としては悪くない場面だったのだが、力一杯へまをしたお父さんだった。

胃が重たくなる。

最悪の滑り出しだった。

Xデーについて悪い方向にばかり考えていたから失敗したのかもしれないよね、きっと。ま、長い6年間だし、あせる事ないよね。よーし、いつか巻き返すぞー、ちくしょー(笑)

タイトルとURLをコピーしました