小学4年生の春のことだった。娘が転校してきてすぐのことだった。2階で仕事をしていると娘が近づいてきた。思いつめた表情が近づいてきた。
「ねえ おとう」
「ん?」
「あのさぁ」
と言った瞬間、その瞬間、娘の方は見ずに言葉を遮るように間髪入れずこう言った。
「だめだよ!バレるよ!」
「………………」
沈黙が続いたが、娘は何も言わずに立ち去った。
私は感のいい方ではないのだが、この時だけは感がきいた。人生の中でたった一度だけかもしれないが、めずらしく感がはたらいた。娘が何を言おうとしたのかが分かったのである。
転校したての娘はおそらくこう言いたかった。
「お父さん、お願いがあるんだけど、ほら、うちさ転校してきたばっかでしょ。だからうちにお母さんがいないってことはまだ誰も知らない訳でしょ。だから、この学校ではお母さんがいないことを隠してもいいかな?」
それに対して、中身もちゃんと聞かず、「だめだよ!バレるよ!」と、言ってしまったのである。
母親がいないことがバレることは、娘にとってカッコ悪くてしょうがないのだろう。体裁が悪くてしょうがないことなのだろう。差別されたり区別されたり、前の学校で味わった嫌な思いを新しい学校でしたくない。普通の子として新しい環境でやっていきたい。そんな気持ちだったのだろう。
しかし、間髪入れずダメだと答えた父親に、何を言いたいのかすでに分かっていることに、心が見透かされている状態に、娘は全てをあきらめた。一瞬の以心伝心に娘は観念するしかなかった。
特に「バレるよ!」と、いう言葉。隠し通すことのメリットとバレたときのデメリットの引き算の答えがあまりに大きなマイナスであることを予想できたのかもしれない。隠すことによる「バレたらどうしよう」というビクビクした学校生活の方が面倒くさいように思えたのかもしれない。
それから娘はなんだか妙に腑に落ちたように納得した様子で離れていった。
意外だったのはお父さんの方だった。反論してくるかな、頑張られるのかなぁ。むくれるのかなぁ。身構えたが、娘は迷いが吹っ切れた様子で、というか心の中を見透かしている仙人のような相手に何を言ってもしょうがないので従うしかないと思ったのか、それから娘は何事もなかったように立ち去った。
しかし片親家庭ではここら辺は非常にデリケートで難しい問題だと思う。うちは熟考することもなく一瞬で方針を決めてしまった。子供の意見も聞かずに今から考えるとそれは親のとんでもないエゴなのだが、言い訳になるかもしれないが、そうすることが、子供が早く強くなると、そう踏んだからだ。踏んだという言い方は偉そうに聞こえてしまうが、そうした方がいいタイプの子供だという考え方にしがみついたから、だからそういう言動になった。そんな気がする。
こういう書き込みをすると、いろんな方面から怒られるような反論が予想される一部始終ではあるが、結果論になるが、覚悟を決めるために、親の方針をズバッと決めて欲しかったのではないか、そんな風にも思う。
こんな勝手な親に育てられていい迷惑は子供だろう。何がいいのか本当はわからない。何もわからないで子供の人生をひっかきまわしている。娘がどんな大人になるのだろう。そう遠い将来ではない時期に、親の私に審判が下るだろう。娘、小4の春のことだった。