タコヤキ屋さん

2.保育園の頃

明日(日曜日)は朝7.30分から保育園のバザーのお手伝いに行きます。

バザーのお手伝いはことしで最後になります。「お手伝いの種類に希望があれば欄に記入して下さい。」「そば係」とか「わたあめ屋さん」とか、プリントに書いてあり第一希望,第二希望と選ぶようになっていたのですが、

「何でも喜んでやります!」と記入してお返事してしまいました。

仕事の割り振りが決まったみたいで 割り振り表をみると私の名前は「たこやき屋さん」のところにありました。「What!たこやき屋さん~!」

「たこやきなんて焼いたことないよ~!」 「どうやって焼くんだよ~!」

でもきっとパックに詰めたりとかの簡単な方の手伝いなのでしょうね、たぶん..がしかし、去年 タコヤキ焼いていた人、油を鉄板にこすってもこすってもタコヤキが鉄板にこびり付いて,なかなかうまく作れなくて,ひぃひぃ言いながら焼いてたの思い出してしましましたよ~。その人,保育士さんだったような記憶が………だから少し悪い予感が…….

 悪い予感があたりました。お手伝いに行くといきなり「さあタコヤキ焼いてください。」と言われました。見ようみまねで、焼きましたが。うまく焼けるわけありません。最初は焦がしたりしてお客さんに迷惑をかけましたが、少しづつ焼けるようになっていきました。今年は焼き鳥を販売していないせいかタコヤキ屋さんは行列です。3人で焼いているのですが間に合いません。お一人様3パックまでと制限をつけましたが、焼き手の要領の悪さが手伝い回転しません。もう開き直るしかありませんでした。一緒にタコヤキ屋さんに配属になったもう一人のお父さんが隣でタコヤキを焼いてます。やはり私と同じで生まれて初めてタコヤキを焼くらしく、ひぃひぃ言いながら焼いてました。

このお父さんも仕事の割り振りの希望の欄で「なんでもやります」と書いてしまったらしいです。隣で私は笑いました。

でもどっかで見たことあるなぁと思い、焼きながら思い切って尋ねてみると、なんと高校の時の同級生でした。20数年ぶりの再会でした。いろいろ積もる話もあったし、他の同級生の消息などもお互い語りあいたいところです。がしかし今そんな暇はありません。たしか彼は高校の時、新聞部でした。当時彼の作文を読んだ記憶があります。

「我々は今、大人達から三無主義とか四無主義とか言われ侮辱を受け続けている」という力強い冒頭から始まる大人批判の社会派の作文だったような気がします。いつも「大人が悪いんだ!」と言うような批判的な鋭い目をした文学青年然とした雰囲気を漂わせている男でした。しかし彼は今、隣でタコヤキを焼いています。自分の子供が通う保育園のバザーのお手伝いをするタコヤキ親父です。そしてタコヤキの食券を手にしてる行列の群れから 待たされるもの特有のムっとした冷たい視線にさらされている彼に当時のあの眼光の鋭さは在りません。

 私も同じでした。彼が文学青年の臭気をぷんぷんと放っていた同じころ、私はバレーボールに打ち込んでいました。学校は休んでも部活には行きました。インターハイをめざしていました。汗だくになって白球を追いかけていたのです。でも今はタコヤキの食券を手にしてる行列の群れから

「ほらっ! はよー焼かんかい!」という無言の暴力にさらされています。

私も彼も昔の若かりし頃の思い出がこみ上げてくる反対側で自分達の身体を突き抜けていくものはタコヤキの鉄板の熱さと「なんで今、こんなことやってんだ!」と言う疑問ではなかったでしょうか。

 だんだんタコヤキの手際がわかってきました。タコヤキをひっくり返す時の1回目の手際が全てだということもわかってきました。火加減の調節も体得してきました。全てが早くなってきました。回転するようになってきました。お客さんの不満の気持ちも受信しなくなってきました。「よーし OK! もーダイジョーブだ~」「どっからでも来い~!」、その時、バザー終了のアナウンスが流れました。

「いちじはんに..なりました…バザーをこれで…終了いたします。二時半から反省会を開きますので急いで後片付けの方を…よろしくお願い致します……」

疲れも手伝い、ボーっとする意識の中、ヘミングウェイの「日はまた昇る」というタイトルを思い出しました。次に思い出したのは芥川龍之介の「ある阿呆の一生」というタイトルでした….

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