最近はお父さんがほとんどお弁当を作っている。
お願いしたら喜んで作ってくれるのだが、おばあちゃんは足が悪くなってきたのと、朝は血圧が低くなってきて、毎朝 血圧計とにらめっこしていて無理をさせられないため、最近はできたおかずをお弁当箱に盛り付けることだけを頼んでいる。
「お弁当は誰が作るの?」と聞かれた時、「お父さんが作った」と言うと、「えー ! 」と回りに驚かれるため、娘は、「おばあちゃんが作った」と言うようにしているらしい。(笑)
そのため、「おばあちゃんが作った」がウソにならないように、少しでも携わってもらった体(てい)にしたいため盛り付けをお願いしている。ミニトマトの位置だとかブロッコリをその対角線上に置いたりとか、いちおう女性なのでおばあちゃんの色の配分はお父さんよりうまい。
娘は大食いの方だが、他の子のお弁当はもっと小さいらしい。卓球の大会の観戦に行くとき、応援席でお弁当を広げる子供達のそばをどうしても歩いてしまう。他の学校の子供達のお弁当をウォッチングする習慣がついてしまった。元お弁当屋さんの自分としては中学生の持ってくるお弁当の中身は興味の的なのである。
見たところ、約4割の子達は手間のかかった手作りお弁当を持たされている。少しホッとする。だが残り4割半は冷凍を解凍して詰めただけ(惣菜コーナーのものも含めて)、そして2割近くはコンビニで買ってきたもの。蓋に「¥398天丼」というシールの貼られた食べ物を食べている子供を見ると、その子をたくましいとは思えない、なんだか寂しい気持ちになる。親はどうしても忙しくてしょうがない時はいたしかたないのだろうが、でもなんとかならないのだろうか。おにぎりだけでも作ってやれないのか。それだけでもぜんぜん違うと思うのだが。
冷凍を解凍して詰めるだけなので、中には朝、自分でそれをやってくる子もいるらしい。しっかりしているといえなくもないが、自分の持たされているお弁当が冷凍を解凍しただけのお弁当なのかどうかを子供は実はよくわかっているらしい。子供のお弁当を覗いて、その親がどんな親かをイメージしてしまう自分は、根性曲がりなんだろうか、自分の驕りなんだろうか、不遜な思いなのだろうか。自分も手抜きのものを作ることがあるので偉そうなことはいえないが、朝早く起きて、一生懸命手作り弁当を作って、でもそんな苦労は子供には微塵も感じさせずに、親が子供の弁当を一生懸命作るのは当たり前だという前提で手渡す、それが出来ない親は、もちっとがんばって欲しいと思うのである。
先日、知り合いの母親とその娘の口げんかを耳にした。子供がどんな生意気な事を言ったのかは知らない、が、親はよっぽど腹がたったのだろう。
「もうお弁当作ってやらないからね!」
それをいっちゃいけない。
気持ちはわかるが、絶対に言ってはいないような気がする。腹を立てて子どもにひどいことを言う、それは仕方がないかもしれない、(因みに自分もある)、どんなにひどいことを言っても、でも食べるものを作るから、親は感情の動物だということと、そのことと、愛情は別物なのだと 子供はいろいろ物を考えるようになるだろうし、セルフコントロールをマネするようになるんだと思う。甘いかもしれないがそう思う。
お弁当は作るのではなく、作らさせてもらうものではないだろうか、自分はそう思う。
弁当を作ってやるという気持ちは自愛でしかない。作って感謝されたいという気持ちは自慰である。
「もうお弁当作ってやらないからね!」は自慰行為を認めることと、私はあなたのことをあんまり愛していない、というつきはなしであって、チンピラの「いつか覚えてろよ!」という捨てゼリフに等しい。幼児にしつけだといって根性焼きをする親の虐待と同じである。
かわいそうだから絶対にそんなこと言っちゃいけない。
お弁当は作るのではなく、作らさせてもらっているのだ。どっかの坊さんみたいなセリフで恐縮だが、なぜだかそう思うのである。誰にも感謝されることもなく、人知れずせっせと子供の弁当を作る作業通して、親は自分だけが味わえる貴重な思い出を手にできるのではないか。子供のために人知れず努力する行為を通して、泣き言や愚痴を言わない強い強い人間に変身していけるのではないか。
子供に渡す弁当は親のタイムカプセルなのではないのか。
お前がいつか親になったら、朝早く起きて子供に一生懸命お弁当を作る親になって欲しいという願いを込めたタイムカプセルである。そんでもって、いつか何かを感じてもらうための時限装置である。カプセルの蓋を開けたとき、その中に入っているのは親の自愛なのか自慰なのか、それとも無償の愛なのか、大きくなった子供はいつか的確な審判を我々親に下すであろう。
子供が大きくなって、その弁当に込められた内容をどう感じるのだろう。うちの場合、娘が大きくなって、タイムカプセルを開けるとき、そこには、ある阿呆の一生が詰まっているのかもしれない。的外れな中年男の目を覆いたくなるような気持ちの悪いそんな臭気ぷんぷんたる愛が詰まっているのかもしれない。それをどう感じるか、うざいと感じるだけかもしれないが、でも自分の人生にどう生かすのか殺すのか、渡したタイムカプセルの効能をなんとなく信じるのみである。冷たい言い方だが、自分の娘のその結果に関しては私の知ったことではない(笑)、娘と娘の運に任せるしかないように思う。