朝 娘を配達用のKトラックに乗せ保育園に送って行く。
園の近くで車を止める。寒い朝だった。今朝のマイナス15度の外気は空気中の水分まで凍らせ、それを朝日がキラキラ反射させる。寒さの厳しいこの町ではよく見かけるダイヤモンドダストという現象だ。
サイドブレーキを引くと、我々の目の前に一台の車が止まる。同じ園の父兄さんの車らしい。中から、髪が長くて、きれいで、とてもやさしそうなお母さんが現れた。そして2歳くらいの息子さんを抱っこしながら保育園の玄関へと消えて行く。
娘と二人でその光景を車の中で目の当たりにした。
逆光を浴びたその親子のシルエットはダイヤモンドダストに包まれてとても綺麗だったのだ。まるで映画のワンシーンだった。同時に娘には気の毒なほど残酷なシーンだった。
チラッと横目で娘を見る。
案の定,娘は固まっていた。親子はもういなくなってるというのに、視覚の中から残像がだんだん消えて無くなってしまうのを惜しむように、遠い目で一点だけを見つめて固まってた。ねたましい気持ちに支配されているのか、それとも羨望の思いで胸を一杯にしているのか、まぶしさのため、しかめっ面をしている娘の表情からはそれを読み取ることは出来ない。
お父さんは少し焦った。
親として、今の君の心境をどうしても覗いておきたかった。次の場面で君にかける言葉を全身全霊をかけて考えてあげようと思ったからだ。なんとか言葉を探してみようと思ったけど、やめた。
君の心の中の今の状態を覗こうとする行為は、例え我が子でも、なんだか大事なものを蹂躙するような,そんな気がしたのだ。お父さんに出来たことは,だんまりを決め込むことと、知らんぷりをすることだった。横顔は痛々しく、脚色的な言い方を許してもらえるなら,それは悲しいほど寂しそうだったといえる。そんな寂しさの前で、お父さんは物体でしかない。いい年して 惨めで、でくの坊だった。悲しくて悲しくて悲鳴をあげたかった。このせまい車の空間の中で、悲鳴をあげることができたら、どんなに楽だっただろう。
でも,お父さんは逃げようと思ったから黙ったんじゃないと思う。
浅はかで陳腐で分かったような言葉をとうとうと口にする人間でありたくなかった。黙りこくって無理解な出来の悪いオヤジをガンバッテ演じる方が、自分という人間にはピッタリだった。
でもやっぱり お父さんの降参だった。どうしようもなかった。手も足も出なかったのだ。
お父さんがドアを開けると、車の中に冷気が刺すように入ってくる。
娘は魂が抜かれたみたい,緩慢な動作でボッコ手袋に手を通してから車を降りる。園の玄関にトボトボ向かう娘の後姿に元気を感じない。
「すまんね,寂しい思いをさせちゃって勘弁してね」 心の中で声をかけてみた。
負けず嫌いなお父さんの遺伝子は,こう答えてた。
娘「ぜんぜん ..」
父「ガンバレヨ」
娘「おまえもな」