おととい友人が死にました
商売仲間で38歳でした。心筋梗塞でした。彼は花火の実行委員だったので、花火の時期が近づくと商売を放り投げて花火大会を成功させるべく飛び回る活動家でした。
それ以外はただの飲兵衛でした。
毎日一升酒を飲んでたみたいです。出棺の時、花火を打ち上げました。異例な葬式でした。「俺が死んだら花火を打ち上げてくれ」が、同じ仲間だった花火実行委員達への半ば冗談で言った本人の遺言だったそうです。それをかなえてあげた形でした。花火の時私はたまたまいなかったのですが、居合わせた人の話しによるととても感動的だったらしいです。
昨夜 通夜に行って来ました。
娘がどうしても行きたいと言うので連れて行きました。お父さんの友達だと言うと不思議と興味を示す子です。駐車場が込み合うことが予想されたためタクシーで行きました。会場へ向かうタクシーの中、娘が何か握りしめています。見ると、今年、園の運動会の時、かけっこの3等賞の景品にもらったおもちゃの双眼鏡でした。
「何それ!」と聞くと、
「死んだ人、よく見えるために!」とのことでした(あちゃ~)。
受付けで頂いた香典返しはおみあげと思ったらしく、
「ねぇねぇ お父さん? 中に何はいってるの?」
「おちゃ」を
「おもちゃ」と聞こえたらしく、
あとで家に帰ってあけてみてがっかりすることとなります。
読経がはじまり
案の定30分くらいするとじっとしてられなくなり回りに迷惑をかけると判断したゆえ中座して帰りました。
不思議と悲しみが込み上げてきませんでした。
40歳過ぎてから涙もろくなっていたはずなのですが涙が出てきません。去年お世話になった知合いの人が死んだ時も同じでした。あんなに一緒に遊んだり酒のんだり仕事したり笑いあったりした仲だったのに
微笑みかけてくる写真の男は私の感情をつゆともかっちゃきません。なぜ悲しくないのかを帰りのタクシーの中で考えました。原因はいろいろありそうです。まず自分が年をとったこと。知り合いが死んでもあまり驚かなくなってきたような、それとカッコつけたいいかたですが あまりにも大好きな人間だったため、肉体は消滅しても想い出として彼は私の中でこれからも確実に生きていくということ。ひょっとすると彼は私の中で一緒に年を食っていくような気さえすること。また彼には奥さんも小学生の子供達2人もいるのですが、残された子供に対して不憫におもう感傷が沸いてこないのです。むかしだったら子供のこと考えると、かわいそうで涙が次々に出てくるところなのですが、むしろ親など居ないほうが、子供は自立心が鍛えられていいかもしれない。今私はそんな乱暴な考え方を肯定することが出来るのです。社会の荒波とまでいわないまでも大勢の人の中でもまれてきたような大人が、方向だけ間違わないように1人だけそばに居てあげるだけで、そして、ちょっとだけ手を貸してやればそれで親なんか必要ないのではと思うのです。かわいそうだと考える感情は実は一方的な大人の妄想にすぎません。不憫だと思う感傷は社会の風を学習しようとする子供の意欲を奪いこそすれ、はぐくんでやる代物ではないということ。そう考えると大人はいかに子供の芽をつんでいることでしょう。いろんな可能性の産声を奪っていることでしょう。どれだけ子供の足を引っ張っていることでしょう。自分も含めて今の大人達に腹がたってきました。
しかし、娘との5年間がわたしをして そう思わせるのです。明らかに昔の自分とは違っています。成長しているのか後退しているのか、こころが豊かになっているのか貧しくなっているのか。やさしくなってるのか冷たくなってるのか。勝ち取ったものもあるし失ったものもあるし。そんな自分の検証も出来ぬまま人生の岐路を通り過ぎてしまい、今タクシーの中、10月16日午後7時40分 後部座席で隣に座る娘は自虐的な考えに耽っているお父さんを知ってか知らずか口元がへの字でした。