親ばか報告で恐縮です。またまた娘の卓球の話です。
先日ここの管内で個人戦の大会があった。全道や全国につながっている大会ではないため大きな大会ではなく、いわばローカル大会である。普通大きな大会ともなれば女子の場合は150人くらいの参加人数になるのだが、今回はそのちょうど半分くらいの参加者だったろうか。なので大会というより中規模な試合ってな感じだろうか。
娘は最近卓球スタイルを変えた。中学生の女子の場合、卓球台にピッタリくっつくような前陣速攻型が圧倒的に多いのだが、娘はドライブを武器にするため、コーチの指導もあって、台からすこし離れた一歩くらい後ろにさがった場所にポジショニングをするロングスタイルになった。(男子のような本格的なロングスタイルではなく、いかにも中学の女子らしい、ちょっとだけロングスタイルという感じ)
このスタイルに変えてからフォアのドライブが打ちやすくなったらしい。
で、結論から言うと今回、なんと娘は優勝してしまった。とても大きな優勝トロフィーやら花束やら賞状を抱えて帰ってきたのである。
勝因はと言うと、
1、いつも優勝しているとても強い選手がいるのだが、その子が今回何故か不参加だった。
2、いつもはその子と同じブロックになってしまい決勝まで行ったことがなかった。
3、また今回、他の強い選手が娘とは別のブロックに固まってくれて、それぞれが潰し合いをしてくれた。
4、他のブロックの子は皆死闘を演じ、準決勝や決勝で娘と対戦する相手の選手はヘトヘトだった。休息十分な娘はあきらかに有利だったといえる。
今回はそんな訳で幸運が重なったラッキー優勝というか漁夫の利的な優勝だった。これから先、大会で優勝トロフィーをもらえるのはこれが最初で最後になるのだと思う。自分は時間があったので久々に他の子も含めて一回戦からすべて観覧させてもらった。娘は決勝も含めてすべての試合が3-0のストレート勝ちだった。鉄壁な試合運びだったと言える。
その夜、我が家では、お祝いにすき焼きパーティをしようということになった。お父さんは早速肉とかの材料を買いに行った。
材料を買ってきて、はりきってすき焼きの準備をしている時、電話が鳴った。仕事の電話かもしれないので、我が家に着信コールが鳴ると、たいていお父さんが電話に出る。コールは娘の同級生からだった。この同級生からは昨日も電話がきて、その時、娘はいなかったため、「ごめんね、いなくて、ごめんね、こっちから電話させるからねぇ」とお父さんが応対した。この同級生は明日の日曜日、娘とどこかに一緒に出かけたいみたいだった。遊びのお誘いである。昨日の金曜日の段階で娘は、「日曜日はわからない」と友達に返事をしていたようだった。土曜日の今朝もその子から電話がかかってきたのだが、娘は試合に行った後だった。
「帰ってきたら、すぐ電話させるからね」
試合から帰ってきた時、すぐ電話するように娘に告げた。が、娘が電話をするのを忘れていたようだ。お父さんはちょっとムッときて、同級生からかかってきた無線子機の電話を娘に渡した。娘はこう返事をした。
「ごめん明日いけないわ、ごめんね」そう言って電話を切った。
大会で疲れて、明日は体を休めたかったのかもしれない。
でも、その瞬間お父さんは怒ってしまった。
「お前!優勝とかしていい気になってるのか?断るんだったら何故昨日の段階で断らなかったんだよ。明日、行こうと思ったら行けるのに、何回も電話をかけてきてくれる友達に対して、きちっと理由も言わずに、なんで断るようなことができるんだよ。いつからそんなに友達を大事にしない人間になったんだ、お前、このどアホ!優勝したらそんなに偉いのかよ。友達につれない態度をとってしまったりとか、誠実じゃない態度をとってしまったりとか、そういう未熟な面を直すために、運動とか卓球とかやってるんじゃねーのかよ、お前 ホント バカだわ。お前みたいなバカはおらんわ アホ!」
最後の方はかなり大声だった。
茶の間の換気扇のわずかなすきまから、怒鳴り声が外に漏れて隣近所にも聞こえてしまったのではないかと恥ずかしくなるくらいの大声だったと思う。こんな風に娘に対して、お父さんのかカミナリが年に2,3度は落ちる。昔ながらの父親の怒り方である。それがいいのかどうかは分からない。自分にはこういうやりかたしか出来ないのである。
娘は友達のことを突かれると特にこたえるみたいで、お父さんのその後の怒りの説教を反論もせずしゅんとなり黙って聞いていた。反論すると火に油を注ぐことになることになるお父さんの性格を十分理解してのことである。
その後、娘のおばさんがお祝いのケーキを携えて到着した。おじいちゃん、おばあちゃん、おばさん、お父さん、娘の5人での優勝お祝いすき焼きパーティが始まったのだが、さんざん怒鳴りつけたあとだったため娘はまったく元気がなくなってしまっていて、一言も発っさなかった。お祝いなのに葬式みたいなムードがただよっていることに、途中から参加してきたおばさんはかなり不思議そうだった。沈鬱というか険悪な雰囲気の中、しかも無会話のまま、お通夜の焼香のように、というか、火葬場の拾骨作業のように、皆、肉や玉ねぎを箸でつまんだ。
お父さんの大声はすき焼きパーティを台無しにしてしまったのである。
我が家の恥部を書き込んでしまってこれ以上は恥ずかしいため、無理やり卓球の話にもどそうと思う。
試合中、娘はいい所でポイントゲットしたり勝利した瞬間でもガッツポーズをとらない。どんな場面でもガッツポーズのゼスチャーを一切しない変わった静かなプレーヤーなのである。それに関しては監督も心配というか気にしているみたいで、以前、監督と親の私が話をする機会があったとき、監督は娘について、「ガッツポーズをしない」ことについて触れていた。監督には元気がないように見えるのだろう。ガッツというか気合が足りないように見えて心配になるのだと思う。中学生なら中学生らしく、うれしいときは大げさに喜んだり、素直に喜びを表現したり、それをしようとしない娘に心配を感じるのだと思う。
監督は親の自分に「もう少し、そういうガッツがあればいいでしょうねぇ」と笑いながら教えてくれた。
もっともな話なので、自分は「そうですよねぇ アハハ」などと話をあわせた。
何十年前の話だが、私も中学、高校と球技系の運動部だった。んで、私もガッツポーズをしない変わった選手だった。なので遺伝なのだと思う。
「いい場面で決めた時くらい喜んだらどうなんだ」と、
先輩や大人から注意を受けたことがある。勝利しても喜ばない変わった選手なので、周りの人からみれば不思議というか、おもしろおかしかったのだろう、ポイントゲットしてもノーリアクションなことに、そんなある意味不思議な雰囲気をかもしていたことに対して、苦笑に近い笑いが起こっていたことは自分でもよく分かっていた。
人によっては、緊張をほぐそうとするためにガッツポーズをとるタイプの人もいれば、自分に気合を吹き込むためとか、恥ずかしいから,だからしないとかそれぞれだと思う。思うのだが、がしかし、娘の試合を見ていて自分を思い出すのである。自分の場合、何故ガッツポーズをしなかったのか、あまりにも昔のことなので、はっきりと覚えている訳ではないのだが、ガッツポーズをすると、せっかくこちらに向いている勝気が無くなってしまうような気がしたからだと思う。
よく人生の例え話で、コップの中の半分の水が引き合いに出される。水がまだ半分も残っていると感じるか、もう半分しか残っていないと感じるかとかの、あの有名な人生二者択一である。自分の場合はあきらかに典型的な後者のタイプだった。
喜びとは、両手の素手で砂を掴むのと同じで、掴んだ瞬間から指の間から砂がこぼれ落ちるイメージが湧くのである。喜びがこみ上げた瞬間から幸福が自分からすりこぼれていく悪いイメージみたいなものが付きまとうのである。なのでとてもじゃないがアメリカ人のように喜びというものを全身で表現することなどできなかった。喜びというような感情が湧けば湧くほど、なんだか悲しい気持ちがしのびよってくるのである。カウンセリングの先生に言わせれば一種の精神病にカテゴライズされそうな話なのだが、実際、そんな感じだったと思う。それは自分という人間に自信が持てなかったということでもあっただろうし、悲しい気持ちになりたくないがゆえに、喜びの感情を抹殺しようとする仕掛けがどうしても働いてしまうのである。
なので、普通ならガッツポーズをする場面で、逆に悲壮な感じになる選手とかを見ると、その気持ちが分かるだけに、こちらも同じ痛々しい気持ちになるのである。
娘にこの「お父さんもガッツポーズしなかった」という話をしたことはない。でも、遺伝なのかどうか分からないのだが、なんだか自分と同じ仕掛けが働いているのではないかと思うと申し訳ないという気持ちなのである。お父さんと同じ苦しみを背負ってこの世に生まれたのかなぁと、ま 大げさかもしれないが、正直そんな感想を持つ。
決勝戦は、周りにあった何十台という卓球台をすべてかたずけ、上の観覧席で見ていたギャラリーさん達も下のフロアーに下りて観覧してもOKとなり、一台の決勝台を大勢の人で囲むようにして試合が行われる。まさか自分の娘がギャラリーに囲まれて、センターコートで決勝戦に望むようになるとは夢にも思っていなかった。決勝戦は何度か対戦したことのある選手とだった。過去の対戦成績は2勝3敗の負け越しである。親にすれば、勝って欲しいというよりも、コテンパンに負けて大勢の人の前で恥をかかないで欲しいという思いが優先する。
試合が始まった。
結果は3-0のストレート勝ちだった。ワンサイドゲームだったため、盛り上がりに欠ける決勝だったように思われただろう。普通決勝戦ともなれば応援合戦でお祭り騒ぎになりがちだが、チームメートにしてもガッツポーズをしない娘に影響されるため、自然静かな応援となる。その試合の内容なのだが、セットカウントが2-0になり、次の3セット目は10-8になった。相手が10で娘が8。11点先取なので、あと一点取られるとセットカウントが2-1になるところだったが、10点を先取した相手に油断が生まれたのだろう。なんのリアクションもしないマシンのように冷徹に見える娘はその油断を見逃さなかったみたいだ。10点になった相手に油断が生じた時、それを見逃さず、そこからどうやってゲームをひっくり返したらいいかを、娘みたいなタイプはとてもよく分っているような気がしたのである。ガッツポーズをしない娘にとって、幸福貧乏性の娘にとって、もう半分しか水が残っていないコップの中の世界感の娘にとって、10-8の一見相手の選手に有利に見えるシチュエーションは彼女には勝利の方程式に見えたのではないか。
10-8で相手が少しホッとした瞬間、きっと娘は心の中でガッツポーズを取っていたに違いないのである。
その後、娘はあっという間に2点をとりデュースになった。デュースは4度繰り返され、でも常にリードした状態でのデュースだったので、苦しんで見えたのは対戦相手の方だった。14-13で娘リード、最後に相手が放ったツッツキのショットはこちら側のエンドラインをわずかにオーバーした。
娘は勝った。
でも勝利の瞬間さえもノーリアクションの娘の淡々といた様子に、歓声はあがることが無く、まばらな拍手と待ちくたびれた片付け係りのゴーサインと三々五々とバラける人の群れが静かに展開されただけだった。
静かな勝利である。
でもいつか本当にガッツポーズをして欲しい、胸の前で小さく拳を握るだけのポーズだけでもいい。そこらへんからでもいいと思う。そんなもって、将来、大げさなガッツポーズができる人間に、なるべくなら、なって欲しい。おおげさなガッツポーズをしても幸福がすり抜けていかない程の、そんな恐怖観念にとらわれない程の自信が生まれたとき、とりもなおさずそれは、恐怖に打ち勝つ精神力の度合いそのものを表していて、君みたいなタイプはもしかすると、精神力の度合いに応じてガッツポーズゼスチャーは徐々に大きくなっていくのではないだろうか。世に言う自信とはそんなに簡単なものではなく、自信とは忍び寄ってくる悪いイメージにはむかう精神力であると思うからだ。
自信の無い人間にとっての自信とは、うぬぼれとかすさまじい自己肯定ではなく、近寄ってくる悪いイメージをかっ飛ばして遠くへ飛ばせるだけの力のような気がするのである。自分のストライクゾーンに呼び込んでフルスイングでインパクトできるホームラン性の当たりみたいなもので、バットの芯のスイートスポットに当たったあの感触なのである。あの感触のあの快感を自分の頭に一生懸命に刷り込んでいく作業をしながら、そんなこを通じて、そうして固まっていく鋼(はがね)のような強い気持がやっとこ自信という固体のようなもの変わっていくのではないか。固くなったものは素手で掴んでも指の間からこぼれる心配がなくなるのである。
だからそういった気持ちが少しずつ強くなってくれればいいなぁとそう思う。静かなプレーヤーは応じて少しづつオーバーリアクションになり少しずつ喧(やかま)しくなっていってくれればいい、そんな風に思うのである。
いつか拳を天に突き上げながら、怒号のような雄たけびをあげ、そのすさまじさで回りの空間がゆがむような、大きなガッツポーズを決めて欲しい。親もかなわなかった、あのウイニングパフォーマンスをどうか見せて欲しいと思う。
これ以上の親ばか報告は恐縮の範疇(はんちゅう)をはるかに超えてしまうため、この辺でやめときます。